無政府社會は可能だ

「無政府」といふ言葉からたいていの人が思ひ浮かべるのは、おそらく混亂、無秩序といつた状態だらう。實際、國語辭典で「無政府状態」を引いても、「社会の秩序が乱れ、行政機関が全く機能しない状態」と書いてある。しかし、政府(行政機關)が存在しないと社會の秩序が亂れるといふのは、誤つた思ひ込みだ。政府がなくても、社會秩序は保たれる。いやむしろ、政府がない方が、社會秩序はよりよく保たれる。
謎の独立国家ソマリランド
嘘だと思ふ人にぜひ勸めたい本がある。今年最高のノンフィクションとの呼び聲も高い、高野秀行謎の独立国家ソマリランド――そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社)である。舞臺は、二十年以上にわたつて文字どほりの無政府状態が續く、アフリカのソマリア。多くの人は、無秩序で混亂した社會を想像することだらう。しかし事實は異なる。たしかに一部の地域は内戰で荒れてゐるが、それでも「人々は政府なしでけっこうちゃんと暮らしを営んでいる」(351頁)し、地域によつては「奇跡」のやうな「平和と治安のよさ」(415頁)を享受してゐるのである。

ソマリアは1991年に内戰が勃發して以來、本書の題名にもあるやうに、ソマリランド、プントランド、南部ソマリアの大きく三地域に分割されてゐる。このうち南部ソマリアは、暫定政權と反對派が戰鬪を繰り廣げ、「無政府状態だとか、内戰でめちゃくちゃになっているとか、そういうことばかりが報道される」(351頁)。だが中心都市モガディショを訪れた高野は「なぜこの町はこんなに栄えているのか」(329頁)と驚く。

南部ソマリアには「中央政府は二十年も存在しないのに、電話会社もあれば、テレビ局もあり、航空会社もある。普通の国にあるものはここにもたいていある」(230頁)。電氣、水道、ガス會社や學校、病院は血縁集團である氏族が經營してゐる。氏族の經營といつても排他的ではなく、學校の場合、ある氏族の支配區の中によその氏族の學校があつてもいいし、別の氏族の子供も生徒として受け入れる(350頁)。

特筆すべきは通信サービスである。電話は「政府の規制が何もなく、各会社が純粋に競争をしているため、料金の安さもサービスの質もアフリカで一、二を争うと言われている」(348-349頁)。高野は、現地の人々が携帶を手放さず、ひつきりなしに電話し合ふのに驚くが、その背景には、市場競爭がもたらす安くて質の良い電話サービスがあつたのだ。インターネットも、モバイルルータースマートフォンの月額料金が日本圓で千圓足らずの安さといふ。

さらに面白いのは、お金の話だ。ソマリアで一般の人々に利用されてゐる紙幣はソマリア・シリングである。興味深いことに、二十年前、無政府状態になり、中央銀行もなくなつてから、シリングはインフレ率が下がり、安定するやうになつた。なぜなら、中央銀行が新しい札を刷らなくなつたからだ。「ボロくなりすぎた札は捨てられるから、総数は減ることはあっても増えることはない。だから、インフレが低く抑えられているのだ」(233頁)

その結果、ソマリア・シリングは「普通に政府が機能している周辺国の通貨より強くなってしまつた」。このため「今ではエチオピア領内のソマリ人地域でも使用されているし、ケニア商人が財テクのためにソマリア領内に入ってシリングを買いあさることもあるという」。紙幣をこれでもかとばかりに發行する中央銀行が存在しなくても、いやむしろ存在しない方が、通貨の價値は安定し、高まるのだ。

しかし何といつても一番興味深いのは、法の仕組みである。國の裁判所はあるものの、高野が詳しく取材したソマリランドの場合、民事事件では百パーセント、刑事事件ですら多くが民間(氏族と宗教組織)に委ねられ、國はごく一部にしか參與しない(220頁)。それでは民間で刑事事件をどう裁くのか。殺人の場合、かつてその代償は加害者の生命だつた。けれども、それでは復讐の連鎖が生じかねない。そこで今では「遺族が望めば加害者に罰を与える代わりにお金を受けとることができる。逆にもし遺族が『カネより気持ちだ』と思ったら、加害者を処刑してもいい」(221-222頁)。加害者自身が賠償金を拂へなければ、氏族が出し合ふ。

高野は、刑罰の種類を政府が押しつけるのでなく、被害者側に選ばせるこの法を「『被害者意識』を最大限に重視している」と高く評價し、ひるがへつて日本の現状についてかう慨歎する。「社会正義を重んじるが被害者の感情やその後の生活などに無頓着な日本人は、ソマリランド人から見れば、よほど現実主義に欠け、人情味に乏しく映るのかもしれなかった」。そのとほりだらう。

優れた法制度に支へられ、ソマリランドは平和と安全を享受してゐる。その安全度は「国土の一部でテロや戦闘が日々続き、毎年死者が数百あるいは千人以上も出ていると推定されるタイやミャンマーよりずっと高い」(500頁)。一般家庭には多くの銃があるが、持ち歩く人は少ない。言論の自由も廣く滲透してゐる。だがかうした實像は世界でほとんど知られてゐない。なぜなら「平和はニュースにならない」(158頁)からだ。

たいていの人は、政府が存在しないと内戰が起こると誤解してゐる。しかし事實は逆だ。政府が存在するからこそ、その權力の獲得をめぐつて爭ひが生じるのだ。ソマリアの三地域のうち、暫定政權のある南部ソマリアで戰鬪が絶えないのは偶然ではない。暫定政權は國連や歐米諸國に後押しされてゐるから、内戰の責任は國連や歐米諸國の介入政策にあるともいへる。介入政策と縁の薄いソマリランドのジャーナリストはかうつぶやく。「ソマリランドは今の状態がいちばんいいのかもしれない……利権がないから汚職も少ない。土地や財産や権力をめぐる争いも熾烈でない」(125頁)

もちろんソマリアは地上の樂園ではない。平均壽命や幼兒死亡率、一人あたりGDP(國内總生産)などは明らかに改善してゐるものの、先進諸國に比べれば豐かさの水準はまだ低い。しかしだからといつて、無政府社會は政府のある社會より劣ると決めつけるのは的外れである。先進諸國の豐かさは、長い年月をかけて積み上げた、自由な資本主義の成果だからだ。資本主義の歴史が淺いソマリアと單純比較するのは不適切である。

ソマリアが明らかにしたこと、それは、無政府社會は「〔政府のある〕世界の多くの国と同じようにちゃんと機能」(136頁)するといふ事實である。秩序があり平和な無政府社會は實現可能なのだ。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)