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大きな政府は國を滅ぼす

小さな政府を支持する市場原理主義は國を滅ぼすと、保守革新の言論人はともに主張する。しかしそれは誤りである。國を繁榮させるのは小さな政府であり、大きな政府は國を衰亡させる。その眞理を雄辯に物語るのは、一千年の長きにわたり存續したビザンティン帝國の歴史である。
生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)
1990年に刊行され、現在も文庫本として版を重ねる井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫、2008年)では、ビザンティン帝國(東ローマ帝國)盛衰の理由について興味深い指摘が數多くなされてゐる。まづ官僚制である。ビザンティンの官僚制といへば、惡い印象が一人歩きしてきた。厖大な數の役人がをり、手續きやしきたりにうるさく、非能率で、賄賂やコネがまかりとほり、國の富を喰ひつぶす魔物のやうな存在、といはれてきた。ビザンティン帝國のガンとさへいはれ、帝國衰頽の原因のひとつに數えられたりもしてゐる。

しかし「このイメージは、少なくとも八世紀から十世紀の発展期に関するかぎりあてはまらない。まったく逆である」(150頁)と井上は指摘する。九―十世紀の中央各官廳の定員を調べてみると、「その数は想像されるよりはるかに少なく、たった六百人余りである(下級の書吏は除く)」。井上はかう強調する。「今日『小さな政府』とか『安上がりの政府』などと呼ばれているものを、発展期八―十世紀のビザンティン帝国はもっていたのである」(151頁)

次に教育制度である。子供の教育は政府の仕事ではなく、民間で行はれた。讀み書き算盤の初等教育は、教會や修道院の附屬學校か、家庭でおもに母親によつてなされた。高等教育は、修辭家やソフィストと呼ばれる智識人が開く私塾で行はれた。

民間の教師がやつてゐた私塾を國立に移管したり、新たに宮殿に大學を作つたりして、國家が高等教育に直接携はることもあつたが、長續きしなかつた。「教育はどちらかといえば国家の管轄外で、もちろん文部省のような官庁はなかった。民間に任せておいても十分に人材が補給されるだけの教育・文化水準の高さを、ビザンティン帝国はもっていたのである」(154頁)

三番目が通貨と財政である。ビザンティン帝國が發行するノミスマ金貨は、國際通貨として各國商人によつて使はれ、首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が國際商業都市として榮える支へとなつた。「中世のドル」とも呼ばれるといふ。

ただし現代のドルは米國政府が發行してゐる點を除けばただの紙切れだが、ノミスマ金貨の場合、「その信用は貨幣自体がもつ金(きん)にあった」(198頁)。前身であるソリドゥス金貨が四世紀のコンスタンティヌス皇帝によつて發行されて以來、十一世紀ごろまでほぼ純金といふ高品位を保つた。あとで述べるやうに、これは政府が無駄な支出を抑へ、健全な財政を維持したことの反映である。

民間でできることは民間に任せ、小さな政府を保ち、健全な通貨と財政を維持することで、ビザンティン帝國は長期にわたる存續の基礎を築いた。しかしそのビザンティンも、賢明な態度をいつまでも續けることはできなかつた。「小さな政府」は徐々に「大きな政府」へと變貌してゆく。

きつかけは軍事的な擴大路線である。帝國の對外擴大とともに、兵役を果たす農民は遠い地方へ遠征に出かけることが多くなり、農作業が十分にできなくなつた。政府からもらふ給料は少なく、馬や武具は自前とされてゐたので、農業經營がふるはなければ召集に応じられない。やがて農民は「土地を捨て、村を出て流浪せざるをえなくなった」(190頁)。「土地を所有しているかぎり、国家の税や軍役を逃れられないから」である。

安上がりの農民兵を確保できない政府は、傭兵を雇はざるをえず、その費用が高くつくやうになつた。資金を調達しようにも、納税者である農民が逃亡といふかたちで抵抗するから、増税は容易でない。そこでとつた手段は借り入れである。定められた金額を政府に拂ひ込むと、爵位や名譽官職が與へられ、それに応じた年金を受け取ることができるやうにした。今でいへば國債制度に等しい。官位販賣は國債發行であり、年金は利息である。

十一世紀にはこの官位販賣がどんどん擴大する。外國に領地を荒らされた土地所有者やイタリア都市との競爭に押され始めた商人などが、より安定した收入を求めて官位を贖入した。「ビザンティン経済を支えていた人々が、国家に寄生する金利生活者に変わっていった」(200頁)

當然、年金の支拂ひがかさむ。少しでもそれを輕減しようとして、政府がとつた方法がノミスマ金貨の改惡であつた。「簡単にいえば、一枚分の金で二枚の金貨を作ったのである。この金貨で支払えば、年金は半分で済むことになる」(201頁)。もちろんこの措置は、官位を買つて金利生活に入つた者のみならず、給料を實質切り下げられた官僚や兵士からも強い反撥を招く。彼らは官位の昇進を要求した。「より高い官位にはより多くの年金がついていたから、高い官位に進むことで、年金の実質額を確保しようというのである」。皇帝たちはその要求を認め、十一世紀後半には、それまでにはなかつた高い官位がつぎつぎと新設されることになる。

しかしこれはツケの先送りにすぎなかつた。政府の赤字は雪だるまのやうに膨らみ、つひにニケフォロス三世時代(在位1078-81)には、官位保有者に支拂ふ年金が國家の收入の何倍かになつた。「皇帝は支払いを中止せざるを得なくなった。ビザンティン帝国は国家破産を宣言したのである」(202頁)。その後、古い官位を事實上無價値にするといふ荒療治によつて財政は一時持ち直すが、無理な遠征はやまず、國力を使ひ果たして1453年の滅亡に至る。

井上によれば、「ビザンティン人のあいだでは、皇帝の仕事は戦争をすることではなく、平和を維持することだと考えられていた」(172頁)といふ。ローマ時代にはゐなかつた女帝がビザンティン時代になつて現れたのは、そのためともみられてゐる。そのビザンティンが戰爭による對外擴大に走り、政府が肥大したとき、經濟の活力は失はれ、衰亡が始まつた。大きな政府は國を滅ぼすのである。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)