特攻命令といふ殺人

大東亞戰爭で日本陸海軍が行つた體當たりによる自爆攻撃、すなはち特攻は、日本人の誇りであると稱へる者が少なくない。たしかに、國を守るためと信じ、若い命を捧げた隊員たちの態度は心に迫る。ところがその一方で、志願の建前とは裏腹に若者に特攻を命令した陸海軍上層部は、その非道を責められるどころか、英雄に祭り上げられてゐる。どれだけ感動的であらうと、特攻は合理的な作戰とはほど遠い自殺行爲であり、それを命じた軍上層部は殺人者である。
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三村文男『神なき神風――特攻五十年目の鎮魂』(テーミス、2003年)は、そのやうな特攻の非人間性を呵責なく、しかも明晰な論理にもとづき糺彈した書である。1995年に自費出版された後、一時絶版となつたが、讀者の要望を受け、商業出版物として復刊された。戰時中は醫學生で、海軍で軍醫の研修もした著者三村は、舊制中學校時代の友人を特攻で亡くす。それでも三村は、憂國の思ひもだしがたく志願して特攻出撃する若人が輩出したことは、帝國陸海軍の榮光として萬世に記憶さるべきことだと信じてゐた。

ところが戰後、友人の出撃が志願でなく強制されたものだつたことを知る。しかもそれはその友人だけではなかつた。智識人を含め、特攻を賛美する者は今でも多いが、「特攻が命令でなされたとなると、すべてが裏返しになってしまう。……帝国陸海軍の行為は、人間の尊厳を冒涜する犯罪だったということになる」(34頁)。志願した者もあつたが、歸還率ゼロパーセントでしかも效果の薄い自爆攻撃を「やめさせなかった罪は、人道にそむく」(241頁)と三村は軍上層部を批判する。

特攻は日本人の傳統的な價値觀の表れだと稱へる者があるが、三村はこの見解に反對する。なぜなら日本人の傳統的な價値觀に、「他人を自殺攻撃にかりたてることをよしとするものは存在しなかった」(226頁)からである。戰時中の皇國教育にしても、自己犠牲こそ教へたが、「部下に自殺攻撃を命令することを教えたことはない」。特攻を推し進めたのは、「徹底した人命軽視と部下蔑視」(229頁)を特徴とする昭和時代の軍上層部の價値觀であり、特攻命令は日本人の傳統的な價値觀からも決して許容できない「人倫の外道」(65頁)だつたと三村は指摘する。

三村は、軍上層部の「徹底した人命軽視と部下蔑視」を具體的に暴いてゆく。最も詳細に論じられるのは、神風特攻隊の結成と出撃に深くかかはつた海軍中將の大西瀧治郎である。大西は終戰直後に自決したことで、若者たちを特攻で死なせた責任をとつたといはれるが、それは誤つた見方だと三村はいふ。大西の遺書に「其〔特攻隊員〕の信念は遂に達成し得ざるに至れり。我死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」とあるが、これは戰爭に負け、君たちの死を無駄にしてすまなかつたといふ意味にすぎない。「君たちを特攻命令で殺してすまなかったとは言っていない。外道を犯して悪かったとは、ひと言も言っていないのだ」(102頁)。

第一航空艦隊司令長官の大西は、出撃待機中の特攻隊員にかう訓示したといふ。「日本はまさに危機である。しかもこの危機を救いうるものは、大臣でも、大将でも、軍令部総長でもない。もちろん、自分のような長官でもない。それは諸子のごとき純真にして気力に満ちた若い人々のみである」。三村はこの發言を次のやうに指彈する。

まともに考えれば、大臣、大将、軍令部総長らの無能無為無策が招来した危機が、「純真にして気力に満ちた若い人々」で救われるはずのないことは、誰でもわかることだ。……もし大西が嘘をついているのでなかったら、大臣、大将、軍令部総長に責任をとらせ、馘(くび)にしてから、若者にどうかお願いしますと言うべきだった。責任者をそのままにして、若い者をおだてるのは本末転倒である。(47頁)

大西が仕へる「大臣、大将」らは、大西よりもさらに惡質だつた。その一人が、知性派と呼ばれる海軍大將の井上成美である。井上はある文書で、特攻は「無理な戦」であると書きながら、反對はしなかつた。その理由は、三村が引用する生出寿によると、「特攻のような『無理な戦』をやってもやはりだめだというところまでいかなければ、終戦のいとぐちはつかめないと考えていた」(79頁)からである。だから倉橋友二郎少佐から「国破れて山河だけ残っても何にもなりません。もし国が破れるものなら、残すべきは人ではないでしょうか」と特攻の非を説かれても、井上はこれを默殺した。

「終戦のいとぐち」をつかむためといへば聞こえがよいが、これは人間を捨て駒にするのと同じである。三村は、井上を海軍大臣米内光政とともにかう批判する。「大西はパラノイア(偏執狂)的信念から強行したのに反し、井上、米内は終戦工作の方便として、特攻を重要視していたことは、より冷酷陰険かつ非人間的といえる」

軍上層部にはさらに上位者がゐる。昭和天皇である。三村は、言葉を選びながらも、天皇を免責はしない。特攻の報告に天皇が答へた「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」といふ言葉に、三村は「この時、『やめてくれ』と言われておれば、特攻作戦は再び決行されることはなかったであろう」と悔やむ。また「特攻作戦といふものは、実に情に於て忍びないものがある。敢て之をせざるを得ざる処に無理があつた」といふ天皇の述懐に、「にもかかわらず、敢てせざるを得ないものであったのだろうか」と疑問を投げかける(67頁)。

結論として、三村はかう宣言する。「私はすべての特攻命令者・協力者を殺人罪で告発する。戦後特攻を肯定し、弁護する人たちを事後従犯として告発する」(87頁)。現實の裁判ではない。特攻命令の罪は、時效のない「歴史という名の法廷」で裁かれるべきだからである。

多くの若者に自殺を強制しておきながら、自決した大西中將を除けば、「陸海軍の首脳部はじめ、責任をとるべき人たち」は「免れて恥とせず、戦後を生きのび」るといふ「厚顔」ぶりを發揮した(111頁)。かりに民間の防衞會社があれば、そもそも兵士に自爆攻撃を強要することなど許されないし、萬が一そのやうなことがあつた場合、上層部は間違ひなく重い責任を問はれる。特攻といふ非道は、防衞サービスの供給を排他的に獨占し、よほど大きな過失がない限り刑事上の責任を問はれない、政府の軍隊だから可能だつたのである。

現在、與黨自民黨は、憲法改正により自衞隊を國防軍に格上げしようとしてゐる。しかし、かつて政府が特攻といふ外道に走り、かつ責任をとらなかつた事實や、今でもそれを美化する言論がまかり通ることを考へると、とても政府の軍事權強化を許すことはできない。

(「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)