世界標準を疑へ

景氣が惡いときには、中央銀行が金融緩和を行ひ、政府が財政支出を擴大して、經濟をテコ入れするのが經濟政策の「世界標準」だといはれる。そのとほりだ。しかし世界標準だから正しいとは限らない。現在の世界標準とされるこれらケインズ流の經濟政策は、むしろ世界經濟に危機をもたらした元兇であり、すぐにやめなければならない。
そして日本経済が世界の希望になる (PHP新書)
安倍晋三政權が打ち出したアベノミクスは、インフレ目標値の採用など細部に經濟學會内で異論はあるものの、大枠では金融緩和、積極財政を柱としてをり、その意味では立派な世界標準の經濟政策である。じつさい、アベノミクスに賛同する學者や評論家は、世界標準であることをさかんに強調し、國民に支持を廣げようとしてゐる。その心強い援軍ともいふべき本が先日出版された。ポール・クルーグマンそして日本経済が世界の希望になる』(山形浩生監修・解説、大野和基譯、PHP新書、2013年)である。

クルーグマンといへばノーベル賞受賞者であり、名門プリンストン大學の教授にして、世界で最も有名な經濟學者の一人だ。そのクルーグマンが、ビジネスマンをおもな讀者とする新書で、アベノミクスは「世界の希望」だと太鼓判を押すのだから、影響力は大きい。クルーグマンの主張は以前も批判したことがあるが、あらためてその誤りを指摘しておく。アベノミクスの第三の矢である成長戰略については、クルーグマンも「経済構造は複雑さを深めており、政府が成長分野を見通すことはきわめて難しい」(138頁)と正しく批判してゐるので、ここでは第一の矢の金融緩和、第二の矢の財政擴大に絞る。

金融緩和
クルーグマンは冒頭近くで、不況時の金融政策についてかう述べる。「世界を見渡してみれば、FRB連邦準備制度理事会)も、ECB(欧州中央銀行)も、中央銀行が金融緩和を行って経済をてこ入れしている。こうした方法は王道といってよい。しかし日本国内における一部の識者は世界標準の方法論に反対し、金融緩和批判に固執してきた」(5頁、強調は引用者)。早くも葵の御紋、「世界標準」を振りかざしてきた。しかし正しいかどうかは論理的に檢證しなければならない。

クルーグマンは金融緩和を行ふべき理由を次のやうに説明する。「金融緩和によって名目金利が一定に抑えられている環境のなかで、期待インフレ率が上がれば実質金利〔名目金利から期待インフレ率を差し引いたもの〕は下がる。そこで投資を行いやすい環境が生み出され、景気が刺激されることになる」(7頁)。たしかにそのとほり、實質金利の低下は景氣を刺戟する效果がある。だが問題は、それが持續性のない一時的なカラ景氣にすぎず、むしろ反動で新たな不況や經濟危機を招いてしまふことだ。

その典型例が、アラン・グリーンスパンFRB前議長による金融緩和がもたらしたバブルとその崩潰である。クルーグマンは「グリーンスパンの根本的な問題は、金融市場は完璧である、と盲目的に過信していたこと」(93頁)などと言ふが、これほど白々しい嘘はない。グリーンスパンは任期中、繰り返し金融緩和を行ひ、IT(情報技術)、住宅といふ二つのバブルを引き起こした。ITバブルの崩潰による混亂を鎭めようと、さらに市場にマネーを注ぎ込んだ結果が、住宅バブルである。もしグリーンスパンが「金融市場は完璧」と信じるのなら、市場でマネーの量が收縮するに任せるはずで、それを人爲的に増やすはずがない。

日本の景氣低迷も、それまでのマネー注入が經濟構造を歪めた後遺症である。アベノミクスで金融緩和を強化すれば、一時的な景氣改善はあつても、長い目で經濟が正常に戻るのを妨げるだけだ。

財政擴大
クルーグマンは以前、財政擴大には比較的愼重だつたが、いまではその考へを改め、「積極的な拡大を行う必要がある、と確信している」といふ(39頁)。むしろ危機に直面したときは、「財政政策がより有効な解決策である」とすら述べる。なぜなら「金融政策が人びとの期待を変えることに依存する、という点に比べ、財政出動の長所は、それが人びとの期待を変えなくてもよい、ということだ。人びとが(当局の)約束を信じようと、信じまいと、景気を拡張させる効果がある」。要するに「目の前の橋をつくることによって、現実の雇用が生まれるからだ」。

しかし金融緩和と同じく、これも近視眼的な考へ方だ。たしかに、政府が橋をつくれば、一時的な雇傭は生まれる。だが多くの人々が本當にほしがるものをつくらなければ、經濟は持續的に發展しない。だれもが行きたがる場所に橋ができれば、經濟の發展に寄與するが、だれも行かない場所に橋を架けても、資材の無駄使ひにしかならない。雇はれた人々は一時カネ囘りがよくなつても、それで終はりである。

しかも政府がつくるものはほとんどつねに、人々がほしがらないものである。なぜなら、もし人々がほしがるものであれば、民間企業が進んでつくるはずだからだ。つまり、政府の公共事業は資材・勞力の無駄使ひであり、やらないはうがましである。もしやれば、人々が眞に求める産業分野から資材・勞力を奪ふことになり、經濟恢復を妨げる。ジャーナリストのヘンリー・ハズリットが指摘するとほり、「橋の建設労働者が増えた分、自動車工場やテレビ製造工場や紡績工場で、あるいは農園で、労働者は減っている」(『世界一シンプルな経済学』38-40頁)。

マルクス主義からケインズ主義へ
評論家の山形浩生は解説で、金融緩和と財政支出を同時に行なふといふクルーグマンの結論に賛同したうへで、「古典的なIS-LMモデルの分析から出てくるのとまったく同じ」(185頁)と評してゐる。IS-LMモデルとはケインズの理論を説明するため八十年近く前に考案されたものだから、要するにクルーグマンは繪に描いたやうなケインズ主義者である。ケインズ理論は民主主義國の近視眼的な政治家にはまことに都合のよい理論だが、經濟とは人々が欲するものを自發的に生み出す過程であるといふ認識が完全に缺落してゐる。

かつて社會主義諸國の經濟學者は、マルクス主義こそ唯一の科學的眞理だと人々に信じ込ませようとした。現在、日米歐など混合經濟體制諸國の學者や評論家の多くは、いまや世界標準となつたケインズ主義こそ眞理だと人々に信じ込ませようとしてゐる。しかし騙されてはならない。日米歐の財政金融危機は、ケインズ主義による政府の經濟介入が招いたものなのだ。誤つた世界標準を疑はなければ、經濟問題の正しい解決法は見つからない。

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)