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政治は藝術の敵

藝術が人間の心に訴へる力は強い。だから政治は藝術を利用したがる。しかし政治と藝術は兩立しない。藝術は精神の自由を必要とし、政治はそれを否定するからである。
歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書 366)
大東亞戰爭(アジア太平洋戰爭)中、日本政府は國民の士氣を鼓舞するため、さまざまな藝術を利用した。なかでも強い影響力をもつたのが音樂、とくに歌である。作詞家・小説家のなかにし礼は『謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書、2011)で、軍歌を中心に歌と國家との關係を論じ、「作家はどんな国も支持してはならない」と説く。

支那事變(日中戰爭)開始直後の昭和十二年(1937)八月、内務省はレコード關係者との懇談會で、「頽廢的絶望的な歌をつくらないこと」「悲しげで軟弱な曲調は避けること」といつた事實上の指示を出した。これを受け、レコード會社はこぞつて自己規制に走る。歌謠曲の基調は、それまでのジャズ、シャンソン、ポップス、新民謠、日本調など「何でもあり」の多彩な色の世界から、「軍歌・軍国歌謡が幅をきかす単一色の世界」へ轉換するのである(62-63頁)。

昭和十六年(1941)十二月の太平洋戰爭開戰以來、軍歌の數はぐつと増える。そのなかには名曲もある。なかにしは「空の神兵」「若鷲の歌」「同期の櫻」を舉げたあと、「エンジンの音轟々と」で始まる「加藤隼戰鬪隊」(詩・田中林平、朝日六郎、曲・原田喜一、岡野正幸)の歌詞を引き、「まさに名文句。歌謡史に残る傑作である」と高く評価する(89頁)。

だがなかにしは軍歌に名曲が存在することを認めたうへで、賢明にも、別の視點からの批判を忘れない。上記の引用に續けて、かう記す。「しかし――と私は思う。いい歌であるからこそ、多くの人が愛し、戦闘意欲をかき立てられた。いい歌であるからこそ、人は勇躍、戦地へと赴いたのである。軍歌は人を煽り、洗脳し、教育するときには大変な効果を発揮するものなのだ」。そしてかうつけ加へる。「だから軍歌は、いい歌であればあるほど、名曲であればあるほど罪深い。このことを決して忘れてはならないのである」

軍歌が「名曲であればあるほど罪深い」とすれば、當然、軍歌によつて國民を「煽り、洗脳し、教育する」ことに協力した作詞家や作曲家の「罪」が問はれる。なかにしは「個人を責めるのは酷かもしれない。私自身、面識のある人の非をあげつらうようなことは慎むべきかもしれない」(93頁)とためらいながらも、軍歌と作家の責任について考察を進める。具體的に言及されるのは著名な作曲家三人で、それぞれ特徴的で興味深い。

一人目は、山田耕筰である。管絃樂、歌曲、歌劇などほとんどの音樂分野の日本における開拓者であり、「ペチカ」「赤とんぼ」などの童謡でも知られる山田は戰時中、「燃ゆる大地」「米英撃滅の歌」など多數の軍歌を書いた。敗戰の昭和二十年(1945)の暮れ、音樂評論家の山根銀二が新聞紙上で、山田は戰爭中の「樂壇の軍國主義化」について責めを負ふべき「戰爭犯罪人」であると批判する。これに山田はかう答へた。なるほど私は、「戰力増強士氣昂揚の面にふれて微力」ながら働いた。祖國の不敗を希(ねが)ふ國民として當然の行動をとつたのだ。戰時中國家の要望に從つてなした「愛國的行動」が戰爭犯罪になるのなら、「日本國民は舉げて戰爭犯罪者として拘禁」されなければならない、と(90-91頁)。

山田の反論に、なかにしはかう異を唱へる。

私は、「愛国的」つまり「日本のため」と言うこと自体、芸術家として根本的な誤りであると思う。問題を軍歌にしぼれば、作詞家であれ作曲家であれ、作家というものはどんな場面にあっても、最高の作品をつくろうと力を尽くすものである。それ自体はもちろん悪いことではない。しかし、その結果、作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、山田がそうであるように、ほとんど感じていなかったにちがいない。そこに彼らの罪がある。(91頁)

二人目は、服部良一である。山田とは對照的に、太平洋戰爭中に第一線で活躍してゐた作曲家のなかで、服部はほとんど軍歌に手を染めなかつた(107頁)。ジャズやブルースを愛する「筋金入りの敵性音楽好き」のうへ、曲調が政府の方針に合はず、何度も檢閲にひつかかつたことが影響したらしい。

淡谷のり子が歌ひ、服部の最初の大ヒットとなつた昭和十二年(1937)の「別れのブルース」からして、外國人マドロス相手の娼婦の暗く倦怠感に滿ちた歌で、國や軍部からただちに目をつけられた。次のヒット「雨のブルース」は「亡國調」だと評され、昭和十四年(1939)の「夜のプラットホーム」(詩・奧野椰子夫)でつひに發賣禁止となる。「柱に寄りそひ たたずむわたし」が出征兵士を見送る場面を聯想させ、それが「女々しい」のでいかんといふ理由だつた。かうした前歴が敬遠されてか、服部には軍歌作曲の依頼が殺到しなかつた。「ひょうひょうとした平和主義者」である一方で、亡國調と非難されても信念を曲げない強さを併せもつてゐたからこそ、戰爭を煽る罪にさほど加擔せずにすんだといへる。

三人目は、古賀政男である。「影を慕ひて」「丘を越えて」などのヒットで若くして巨匠となつた古賀は、「軍國の母」「さうだその意氣」など十曲以上の軍歌を書く。なかにしは山田耕筰への評價と同じく、古賀にも嚴しくかう書く。「古賀は、愛国者と国策協力者の区別ができなかった。おそらく日本で最も影響力のある音楽家の自分が軍歌を書くことで、それを聴く人びとにどんな影響を与えることになるのかを考える想像力に欠けていた」(113頁)

この批判はやや酷かもしれない。といふのも、「さうだその意氣」について古賀がこんな體驗を振り返つてゐるからである。レコード會社のスタジオで曲を披露すると、軍の幹部が「軟弱だ。戦意を高めるどころか、なんだか悲しくなるじゃないか」と文句を言つた。それに對し古賀はかう答へたといふ。「私は心を打ち込んで作曲したつもりですがこの詞にはこの曲しか作れません。気に入らなければ他の人に頼んでください」(戸ノ下達也『音楽を動員せよ――統制と娯楽の十五年戦争青弓社、222頁)

なかにしも古賀を一方的に断罪するのではなく、「深いところで……罪の意識をもちつづけていたように思えてならない」と言葉を足す。戰後の作品から、「戦前にはよく見られたハイカラな雰囲気は鳴りをひそめ、それに替わって、沈潜していくような内向的な歌の世界が表れてくるから」である。

なかにしは「作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は『主人持ち』になり、その側から発言することになる」(91頁)と強調する。これはフランスの文學者ポール・ヴァレリーが評論「精神の自由」で述べた次の言葉とほぼ同趣旨だらう。「いかなる場合にもおいても、政治と精神の自由は両立し得ない。精神の自由は党派性に対する根本的な敵だし、権力を掌握したあらゆる教条の敵である」(『精神の危機 他十五篇』恒川邦夫訳、岩波文庫、250頁)。強制を本質とする政治は、藝術をはじめとする精神の自由の敵であり、兩立することはない。