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財政政策の幻想

政府が行ふ經濟對策は有害無益なものばかりだが、「財政政策」もその一つだ。ひと頃は豫算の無駄遣ひといふ非難を浴びて鳴りを潛めてゐたが、最近の不景氣で「やつぱり必要」といふ聲が息を吹き返してきた。性懲りもないとはこのことだ。

經濟學の教科書などに載つてゐる財政政策の效用はかうだ。豫算を使つて道路や橋やダムを造ると、建設會社の仕事が増える。建設會社はセメントメーカーや鐵鋼メーカーに資材を發注する。仕事の増えたこれらの會社が人を雇ふので、勞働者の所得が増える。所得が増えた勞働者が物をたくさん買ふやうになるので、商店やスーパーが儲かる、といつた工合に世の中にカネが巡り巡つて、景氣がよくなる……。

だが考へてもみよう。そもそも政府は豫算で使ふカネをどうやつて手に入れるのか。次の三つしかない。

  1. 税金で徴收する
  2. 國債を發行して借りる
  3. カネを刷る

三番目の方法は、國民の保有する現金の價値を引き下げるから、實質的な増税となる。要するにカネの出所はすべて國民だ。

何のことはない、財政政策とは、國民から集めたカネを國民にばらまいてゐるだけだ。プールからバケツで水をくみ出し、それを同じプールにそそぎ込む樣子を想像してみよう。プール全體の水の量は増えるだらうか。増えるわけがない。それどころか、もしバケツに穴があいてゐたら、そこからこぼれた分、水は減つてしまふだらう。

それと同じで、政府が國民から富を取り上げ、再び國民にばらまいたところで、國民全體が豐かになることはない。精々のところ、以前と同じだ。

では一體なぜ、政府はわざわざそんな無駄なことをやるのだらう。言ふまでもない。國民全體にとつては無駄なことでも、政府自身と一部の國民にとつては利益になるからだ。

「一部の國民」とは誰か。政府からカネが流れるに從つて樣々な關係者が利益を得るが、最大の恩恵を受けるのは、政府と直接取引のある企業の經營者や株主、從業員といふことになる。仕事の發注と引き替へに政治資金や票を獲得する政治家や天下り先を確保する役人も、劣らず利益を得る。

それでも財政政策の錦の御旗に騙される人は多い。公共工事で直接利益を受ける立場になくても、多數の勞働者が近代的な道路や橋梁を築き上げてゆく姿をテレビなどで見てゐるうちに、ついつい「國のインフラが整ふのは惡いことぢやない。雇傭も創出されることだし」などと思つてしまふ。

だがこのやうに素朴に考へる人は、大事なことを見落としてゐる。假に道路や橋を造ることが望ましいとしても、問題は造るのにどれだけコストがかかるかだ。

豪華な市廳舎などであれば、素人でも無駄遣ひがわかりやすいが、道路や橋のやうに「實用的」な物だと、專門家でないと費用が適正かどうか判斷しにくい。それでも間違ひなく言へるのは、コストを低く抑へようといふ意識が働く民間の工事に比べ、さうした意識が働かない公共工事のコストは必ず高くなるといふことだ。

さらに厄介なことに、コストは工事代金のやうに「見えるコスト」だけでない。むしろ大きいのは「見えないコスト」だ。米國自由主義的な經濟ジャーナリスト、ヘンリー・ハズリットは今から六十年以上前にかう書いた。

日経BPクラシックス 世界一シンプルな経済学

橋の建設で雇はれた人々は目に見える。働く姿が見える。政府支出による雇傭對策の效き目は鮮やかで、おそらく誰もが感服するだらう。だが見えないものもある。それらはそもそも存在することができなかつた。[橋の建設費用として]納税者から一千萬ドルが奪はれたことにより、それらの雇傭は破壞されてしまつたのだ。結局、公共事業によつて起こつたのはせいぜい、仕事の中身が變はつたことだけだ。橋の建設作業員が増えれば、自動車工、テレビ技術者、服飾工、農民は減つてしまふ。*1

政府が税金を投じて造らせた橋は、一見立派な物かもしれない。だがそのせゐで日の目を見なかつた樣々な事業があることを忘れてはならない。人々が本當に必要とするのが橋でなく、自動車、テレビ、衣類だとしても、政府が橋建設のために民間から限りある資源(資本、勞働力、資材など)を奪へば、企業はそれらの商品を十分に生産することができない。

本來なら得られるはずだつた豐かさを手に入れられない損失、これは社會にとつて甚大なコストだが、目に見えないのでたいていの人が氣づかない。*2ハズリットが言ふ「見えないもの」について想像力を働かせない限り、財政政策について幻想を振りまく政治家の嘘を見破ることはできない。*3

<こちらもどうぞ>

*1:Henry Hazlitt, Economics in One Lesson, Three Rivers Books, 1979, p.33

*2:かうした「見えないコスト」を經濟學用語で機會費用といふ。

*3:ハズリットは「見えるものと見えないもの」といふ言葉をフランスの自由主義的經濟學者、バスティアから借りている。(參考)フレデリック・バスティア「見えるものと見えないもの」(蔵研也譯)http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/seen,unseen,bastia.pdf