2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『新オーストリア学派とその論敵』

ホメロスの敍事詩『オデュッセイア』は英語でOdyssey(オデッセイ)だが、小文字のodysseyになると「長い放浪」「遍歴」といふ意味の普通名詞として使はれる。日本の經濟學者で、越後和典氏ほどこの言葉に似つかはしい知的人生を送つてきた人はゐないだらう。…

追剥よりも惡い奴ら(スプーナー)

追剥(おいはぎ)は強盗であること以外を装ったりしない。〔略〕人々をただ「保護する」ことができるよう、その意思に反して金銭を取り上げるのだと称するほど、厚顔ではない。彼は、そのような公言を行うには良識がありすぎるのだ。 ライサンダー・スプーナ…

國家は教育から手を引け(W・フンボルト)

人間の真の目的は〔略〕人間の持つ諸力を最高にしかも最も調和のとれた一つの全体へと陶冶することである。この陶冶の為に自由は、第一の不可欠な条件である。 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト『国家活動の限界を確定せんがための試論』より。保守系の「新…

自分の人生を生きよ(ジョブズ)

だれも死にたくはない。天国へ行きたいと願う人々も、そのために死のうとは思わない。けれども、死はだれもが最後に行き着く場所だ。逃れた者はいない。〔略〕時間は限られている。だから無駄にしてはならない。他人の人生を生きてはならない。定説にとらわ…

民主主義をあがめるな(サムナー)

悪徳や激怒が特定の階級だけのものだとか、自由とは貴族や聖職者から権力を奪い取って、それを職人や農夫に与えることのみにあるとか、職人や農夫なら権力を濫用することはないとか考えるのは、何という愚劣でしょう! ウィリアム・グラハム・サムナー「忘れ…