相續税上げは賢明か

貧困層ベーシックインカムなどで支援する際の財源の一つとして、相續税の課税強化を唱へる意見がある。これをリバタリアンはどう評價するか。課税は本質的に盜みと同じ反道徳的な行爲だからやつてはいけない。とりわけ相續税は、所得税などを召し上げた後、殘つた財産に再び課税するといふ理不盡な税だから、廢止するのが當然で、増税などもつてのほかだ。以上。……これでは話が終はつてしまふので、もう少し檢討してみよう。

相續課税を税率引き上げなどで強化した場合、その標的となる資産家は、税額を減らすために樣々な對策を講じるだらう。あらゆる節税對策について言へることだが、かうした對策は、辯護士や税理士を潤すだけで、まつたく非生産的な行爲だ。企業の創業經營者などがこの不毛な作業に追はれると、その分本業に割く時間が少なくなり、企業の利益や經營者個人の所得が減る。その結果、相續税率を上げた分以上に、法人税所得税の税收が減つてしまふ可能性がある。

相續對策の中には、子供に對しひそかに財産を贈與したり、とくにアメリカなどの場合、慈善目的の寄附を過大に申告したりといつた違法な行爲が含まれる場合もある。かうした不正を取り締まるため多大な公的費用が必要となるが、それでもすべてを摘發することはできず、結果的に正直な納税者が馬鹿を見ることになる。不公平な税制の典型と言へよう。

しかも相續税は徴税コストも高い。2004年に相續税(および贈與税)を廢止したスウェーデンでは、執行費用が税收を上囘つてしまつてゐた。これでは相續税を取れば取るほど費用を差し引いた政府の實入りは減つてしまふ。事實、スウェーデンではこの徴税コストの高さが課税廢止の一つの理由となつた。*1

相續税はそれ以外にも經濟的な害がある。もつとも深刻なのは、貯蓄の意欲を殺いでしまふことだ。自分が死んだ後にどうせ子供に財産を殘せないのなら、生きてゐるうちに、子供に必要以上の教育費をかけたり、子供へのプレゼントを豪華にしたりして、使つてしまはうといふ氣になるだらう。これもやりすぎると實質的な贈與として課税されてしまふだらうから、しまひには子供とは關係なく、なんでもいいから使つてしまへと思ふかもしれない。いづれにせよ浪費でしかない。

カネを使ひまくつて一時的に景氣を良くするといふのはケインズ經濟學が蔓延させた麻藥で、長期的な經濟發展の原動力は貯蓄だ。貯蓄がなければ、企業は長期的な生産擴大に結びつく投資を賄ふことができない。相續税の課税強化で人々の貯蓄の意欲が弱まれば、經濟の發展は阻害され、結果的に貧困層に分配する富は減つてしまふ。貧困層を救ふつもりの政策が逆に貧困層をさらに不幸にすることになる。

そもそも相續税が税收に占める比率は低く、日本では2%程度だ。課税を少々強化したところで、貧困層の所得を補ふにはとうてい足りない。むしろ上に舉げたやうな不利益の方が大きくなつてしまふだらう。

と言ふわけで、相續税の課税強化は道徳的に正しくないばかりでなく、政策的にも賢明でない。どう考へてもやめるべきだ。*2

<こちらもどうぞ>

*1:柴由花「スウェーデン相続税および贈与税法の廃止」 http://www.lij.jp/html/jli/jli_2006/2006spring_p021.pdf

*2:すべてのリバタリアンがここで述べたやうな考へ方をしてゐるわけではない。飯田泰之雨宮処凛『脱貧困の経済学』(自由国民社、2009年)で、飯田氏は「リバタリアンとして知られる森村進さんも、自己責任の徹底という正反対の文脈で相続税100%を主張されています」(63頁)と指摘してゐる。これには補足が必要だらう。といふのも、森村氏はたしかに相續税の100%課税を唱へてゐるが、一方で多額の生前贈與によつて死後の財産沒收を囘避することを容認してゐるからだ(森村進リバタリアンな相続税[.pdf]」)。 これは相續税をベーシックインカムの財源にと考へる非リバタリアンからは「尻拔け」との批判を浴びるだらうが、森村氏は、個人が生前に自分の意思で行ふ贈與を相續とは性格の異なるものとして區別してをり、首尾一貫してゐる。ただし森村氏の提案では、同氏が意圖する政府の歳入増は實現しないだらう。森村氏は生前贈與を認めると同時にそれへの課税を容認してをり、これは相續課税と同樣の理由で生産性や貯蓄意欲を低下させ、經濟發展を妨げるからだ。