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【飜譯】米聯銀はどのやうに第一次大戰の戰費調達を助けたか(コーニング)

ジョン・ポール・コーニング
(2009年11月19日)
How the Fed Helped Pay for World War I - John Paul Koning - Mises Daily

政府が買物の支拂ひをする方法は三通りある。課税、借金、インフレーション(貨幣量の膨脹)だ。國民がふつう意識するのは最初の二つである。隱しにくいからだ。だが三番目の方法はたいてい國民が氣づかないうちに實施される。なぜならインフレーションはお金の價値をゆつくりと、少しづつ減らしてゆくし、仕組みも複雜怪奇だからだ。

拙稿では、第一次世界大戰中に米聯邦準備制度(聯銀)が何をおこなつたかを檢證し、市民の保有するお金の價値を減らした金融當局の手口について説明したい。聯銀はこの手口によつて政府の戰費をまかなつたのである。この實例を讀めば、「インフレ税」といふもつと一般的な概念や、そのやうな税が將來政府の戰爭をまかなふためにどう利用されるかについて、より正しく理解しやすくなるだらう。

政府は通貨供給を獨占することで、インフレーションを起こし、收入を得る手段として利用することができる。王や女王は硬貨に含まれる金(きん)の量をひそかに減らすことで、浮いた分を大好きな侵掠戰爭に充てることができた。やがて國民は硬貨の金が額面より少ないことに氣づく。硬貨の價値は市場で下落し、硬貨を保有する國民は贖買力の低下といふ損害をかうむつた。
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政府が定めた通貨法により、國民は惡貨を額面より低い價値で使ふことができなかつた。だが結局のところ、貨幣の市場價格が下落したことで、政府は將來の收入源を失ふことになつた。實際の價値を大きく上囘る額面で惡貨を發行することが難しくなつたからだ。

權力を使つて惡貨の價値を水増しした結果、硬貨は安心して受け取れなくなり、物の値段は信用できなくなり、お金に對する國民の信頼は消え去つた。このやうに惡貨と通貨法のせゐで貨幣制度がうまく機能しなくなると、そのツケはかならず、お金を使ふ國民に囘つてくるのである。
ちやうど王たちが硬貨を改鑄して戰費をまかなつたやうに、聯銀はインフレーションを利用して、米國が第一次大戰への參戰費用を調達するのを助けた。聯銀が使つた手法は、國債と引き換へにドルを發行するといふものだ。事實上、聯銀のバランスシートは戰時公債を積み上げる倉庫になり果てたのである。そればかりか、聯銀は國債をバランスシートに計上する際、市場價格より高い値段で評價した。一種の補助金であり、お金をもつ國民全員が贖買力の低下といふ形でそれを負擔した。

インフレーションがどのやうにおこなはれるかを説明する前に、聯銀について多少知つておかなければならない。聯銀は1914年、「眞正手形」主義にもとづいて業務を始めた。聯邦準備制度への加盟銀行は聯銀から現金を借りることができるが、そのためには「眞正手形」を擔保として差し入れなければならなかつた。

これらの手形は短期の借入手段であり、企業が運轉資金をまかなふために發行したものである。この手形は取引在庫の裏づけがあり、眞正手形の「眞正」とは裏づけがあるといふ意味だ。聯銀は手形を割り引くか、手形を擔保に銀行に融資をすることで、世間に出囘るお金の量を増やすことができる。

聯邦準備法の舊第16節では、聯銀が發行する紙幣はすべて、眞正手形による100%の裏づけを義務づけてゐた。これに加へ、聯銀は40%の金を準備として保有しなければならなかつた。當時、聯銀紙幣(聯銀の負債)は金との引き換えを認めてゐたため、餘裕をみて40%分の金を支拂ひ準備として保有したのである。したがつて聯銀は紙幣を1ドル發行するごとに、140%相當の資産を金庫に積み上げた。つまり眞正手形1ドルと金40セントをバランスシートの資産の部に計上したのである。

聯銀は國債と銀行引受手形を公開市場で買ひ入れる權限もあつた。しかし國債は本來商業と關係なく、眞正手形とはみなされなかつた。紙幣には眞正手形の100%の裏づけがなければならないといふ條件を國債では滿たすことができないため、聯銀が國債を裏づけとして紙幣を發行しても、すぐに100%の上限に達してしまふのだつた。

このやうに、聯邦準備法に組み込まれた眞正手形主義のおかげで、聯銀のバランスシートは政府債務やそれに對する債權が山と積まれるごみためのやうにならずに濟んでゐた。1917年4月に參戰した第一次大戰の戰費をまかなふには、米國政府は聯銀のバランスシートをこじ開け、財務省が負つた戰時債務を放り込めるやうにしなければならなかつた。

大きな手が打たれたのは1917年6月である。それまで新規發行されるドルに對し100%の眞正手形、40%の金といふ二重の準備を義務づけてゐたが、この規制を緩めた。16節をわづかに手直しし、40%の金準備があれば、それを同時に40%分の眞正手形の代はりに裏づけとして使へるやうにした。

聯銀は1ドルごとの紙幣發行に對し1.4ドル相當の資産(1ドルの眞正手形と0.4ドルの金)を保有するのでなく、1ドル相當の資産(0.4ドルの金と0.6ドルの眞正手形)だけで濟むことになつた。これで聯銀の持つ多額の擔保を新規の紙幣發行に使へるやうになつた。

これより前、聯銀を戰費調達の目的に役立てるため、別の手が打たれてゐた。1916年、聯邦準備法に13節の8が追加されたのである。この改正により聯銀は初めて、國債を擔保として差し入れた加盟銀行に融資をおこなへるやうになつた。しかし國債は擔保として眞正手形と同格とみなされなかつたため、新規發行紙幣を100%「眞正」な資産で裏づけるといふ目的には使へなかつた。

このため國債を裏づけとした融資は可能になつたものの、その金額はきはめて限られた。聯銀が眞正手形を餘分に持つてゐなければ、聯邦準備法13節の8による融資はできなかつた。
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米國が參戰準備に入つた1917年4月、ウッドロー・ウィルソン大統領は初の戰時公債である「自由公債」の發行を表明した。戰時公債市場を盛り上げるため、聯邦準備法をふたたび改正し、聯銀のバランスシートをこじ開けて政府債務を引き受けさせることができるやうにした。聯邦準備法13節の8による融資は、眞正手形や金と同樣、紙幣の裏づけとして認められた。

これで60%の「眞正」擔保の基準は、眞正手形だけでなく、「眞正でない」國債によつても滿たすことができるやうになつた。いまや聯銀は何はばかることなく、國債をバランスシートに計上し、紙幣發行を増やせるやうになつたのである。

國債を擔保に融資をおこなふ能力をさらに強化したのは、自由公債を擔保とする加盟行への聯銀融資すべてに對し、優遇割引率を適用したことだつた。この率は3%に定められたが、通常の割引率より1%も低かつた。

P・H・フィッシュによれば、加盟銀行は次のやうにして利ザヤを稼ぐことができた。利率3.5%の自由公債を國債入札で買ひつけた後、公債を擔保として聯銀に差し入れて優遇金利の3%で融資を受け、公債の贖入資金をまかなふのである。「もし加盟銀行が自由公債をすべてこの用途に充てたとすると、十五日ごとに41萬958ドルを無税で稼げたことになる」とフィッシュは書いてゐる。

これらの制度變更がただちにもたらした結果は、聯銀のバランスシートの急擴大である。そのほとんどは聯銀が國債を擔保として加盟銀行におこなつた融資によるものだつた。これは上のグラフ〔原文參照〕を見れば一目瞭然だ。聯銀の資産のうち融資(青色部分)は1917年に急増してゐる。1919年には國債を擔保とした融資は全融資の100%近くに達した(グラフ下部の折れ線)。制度變更前に差し出された擔保はおもに民間債務だつた。

聯銀の擔保條件を大幅に緩める改正により、聯銀のバランスシートはいまや、積み上がる戰時國債にとつて非常に效率のよい「掃きだめ」となつた。もはや財務省は民間の個人や銀行を頼りに國債を發行し、自分のバランスシートに計上しなくても濟むやうになつた。中央銀行のバランスシートをあてにすればよいのだ。

それだけではない。聯銀は優遇金利によつて國債を擔保として過大評價したことで、民間が聯銀を「掃きだめ」として利用する奬勵制度を生み出した。民間の投資家は自由公債を買ひ、それを擔保に低利の融資を受けることができた。

財務省はこのからくりに滿足だつた。自由公債に投資家から大きな需要が集まることを意味するのだから。投資家を民間の社債に奪はれないために、高い金利を拂はなくても濟むやうになつたのである。いまや財務省は、聯銀に優遇金利による融資をおこなはせることで、民間の資金調達との競爭を避けることができた。

これらさまざまな仕組みがただちにもたらした結果は、大幅な物價騰貴である。戰時中のほとんどの時期、物價上昇率は13%から20%に達し、聯銀創設の年の1%から大きく上昇した。1920年には、1ドルで1914年のほぼ半分のものしか買ふことができなくなつた。

まとめよう。聯銀は國債を過大評價することで、以前より速いピッチで紙幣を發行できるやうになつた。民間部門は金融緩和政策といふ目の前にぶら下がつたニンジンに釣られ、聯銀におもむいて現金を手にした。だが民間に本當の資金需要はなく、ドルを手放さうとしたため、その價値下落を招いた。

同時に、過大評價した政府の擔保をバランスシートに計上することで、聯銀はみづからの資産の質を毀損した。銀行家と投資家はそれを數字で目の當たりにして警戒心を抱き、ドルを賣つて、もつと信頼できる價値保藏の手段〔譯註、たとへば金(きん)〕と交換したのである。

かうして戰費の一部は、價値の目減りするドルをもつ人々すべてが支拂ふこととなつた。實際、フリードマンとシュワルツは、戰費の5%が聯銀によるインフレーションでまかなはれたと推計してゐる。
他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ―リバータリアン政治宣言―
聯銀のバランスシートが廣がり、國債を擔保とした融資を受け入れたことで、政府がインフレーションによつて戰費を調達する能力はたしかなものとなつた。中央銀行の獨立性が1950年代に確立されたが、財務省が聯銀を戰費調達の手段として使ふ能力を弱めるには不十分だつた。聯銀による通貨供給の獨占を撤廢し、通貨に選擇と競爭を導入しないかぎり、聯銀と戰爭の好ましからざるつながりを完全に絶つことはできない。

(筆者は金融ライター兼グラフィック・デザイナー)

譯者のひとこと英國イングランド銀行が大同盟戰爭の戰費を調達する目的で創設されたやうに、戰爭と中央銀行の歴史は深い關係にある。米國の聯邦準備制度も同樣で、同國が第一次世界大戰に參戰する直前に設立された。戰爭には武器彈藥をあがなふカネが必要だが、中央銀行といふ「發明品」により、國家はそのカネを少なくとも短期間は無制限に手に入れることができるやうになつた。その結果が、兵士のみならず一般市民にも空前の死傷者を出した二度の世界大戰と、現在に至るまでアジアや中東などの地で絶えない多數の戰爭である。現代の非人間的な戰爭の慘禍を憂へるのなら、中央銀行制度の成り立ちと仕組みを理解しなければならない。

(初出:Free Market Forum Japan
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