デフレの神話

電子書籍デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉』より「はじめに」を転載〕

昨今、万人から忌み嫌われる悪役は映画やマンガの世界でもあまりお目にかからないが、現代経済学の世界にはそれがいくつかある。三つ挙げれば、まずデフレ(物価全般の下落)である。経済学者のほとんどはデフレは経済に悪影響を及ぼすと主張し、二―三パーセントのインフレ(物価全般の上昇)に戻すための政策を提言する。現在、日本でもデフレ脱却が経済の最優先課題とされ、政府・日銀が前例のない金融緩和政策に乗り出そうとしている。
デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)
次に金本位制である。1929年のニューヨーク株暴落をきっかけとした不況が世界大恐慌に発展したのは、当時、日米欧などの主要国が金本位制を採用していたせいで、政府が思うように金融緩和ができなかったからだとされる。近年、金価格の上昇を背景に金本位制復活論が取り沙汰される場面もあるが、たいていの経済学者はこれを時代錯誤だと嘲笑する。

三番目が自由放任政策である。米国のサブプライム問題やリーマン・ショックを契機とする金融危機は、政府が規制緩和を進め、自由放任的な経済政策を採ったことが原因とする解説をあちこちで目にする。金融危機は資本主義の本質的もろさを示すものであり、資本主義が健全に機能するには、政府による監視と規制が欠かせないという。

さてじつは、これらの通説はどれも誤っている。デフレが経済に悪影響を及ぼすことはなく、むしろ物価下落を無理に妨げようとする政策こそ長い目で市場経済の機能を狂わせ、人々を貧しくする。主要国が金本位制を採っていた十九世紀後半、世界経済は恐慌に見舞われるどころか、かつてない繁栄と平和を謳歌した。サブプライム危機を引き起こしたのは市場経済ではなく、人為的にマネーの量を膨らませた中央銀行と、それを背景に中間・貧困層への住宅融資を拡大した政府系金融機関である。

通説がいつも正しいとは限らない。いや、むしろ現在の経済問題は、通説を疑わないかぎり、理解できない。なぜなら経済問題を解き明かすはずの経済学が、偏ったイデオロギーによってゆがめられているからである。そのイデオロギーとは、市場経済に国家が介入することを当然とみなす思想、すなわち国家主義である。

1990年前後、ベルリンの壁とともに旧社会主義諸国が崩壊し、それらを理論的に支えてきたマルクス経済学は事実上の死亡宣告を受けた。それとともに、いわゆる近代経済学がほとんど唯一無二の正しい経済理論とみなされるようになった。だがここに問題があった。その時点で近代経済学は、マルクス経済学と同じ国家主義イデオロギーに深く侵されていたのだ。

国家主義の毒が回った近代経済学は、マルクス経済学と違い、そのイデオロギーをおおっぴらに押し出すことはしない。建前として市場経済の尊重をうたう。そのうえで、市場経済をうまく機能させるには、国家の介入が必要だという論理構成をとる。しかしこれは、マルクス経済学の露骨な国家主義を水で薄めただけで、本質は変わらない。その証拠に、旧東側諸国の崩壊から二十年を経て、今度は旧西側諸国で経済の行き詰まりが明らかになろうとしている。日米欧を襲う財政・金融危機は、その具体的症状である。

国家主義の悪しきイデオロギーがもたらした経済の病理を解き明かすには、このイデオロギーに正面から対峙する理論によらなければならない。その理論をリバタリアニズムという。日本語では「完全自由主義」「自由至上主義」などと訳され、悪意をこめて「市場原理主義」と呼ばれることもある(私はあっさり「自由主義」と訳すのがよいと思うが、本書では文脈によって適宜使い分ける)。

リバタリアニズムの考察対象は経済問題にかぎらないが、経済に絞っていえば、その有力な理論的支柱は、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエク、マレー・ロスバードらが築いたオーストリア学派経済学である。経済学会で現在少数派に甘んじているこの学派は、個人の自発的な意志にもとづく市場経済を強く擁護し、政府による介入を徹底して排除することで知られる。一見過激だが、この学派ほど経済問題の本質を鮮やかに説明してくれる理論はない。

リバタリアニズムの立場から、オーストリア学派経済学の知見にもとづき、通説に疑いを投げかけ、経済問題を正しく解き明かそうと試みたのが、本書である。

収録した文章は、すべて書評の形式をとっている。私の個人ブログ「ラディカルな經濟學」で2010年から2012年までの三年間に公開した文章から、経済書を対象とした書評を選び、加筆・修正を施したほか、書き下ろしを加えた。ブログは歴史的かなづかい、正漢字で書いているが、電子書籍化にあたり表記を改めた。引用元などへのリンクは原則割愛したので、関心がある方はブログを参照してほしい。

経済書は、ビジネスマンを中心として、日本人に最も親しみのある本の分野の一つだが、そのわりに信頼できる書評やブックガイドは少ない。書評を担当する経済学者の多くが、上述した事情で、国家主義の悪しきイデオロギーにとらわれているのが一因である。本書は取り上げた本を自由主義の視点から★印で五段階評価しているから、ブックガイドとしても利用してほしい。なおそれぞれの本の出版年は、とくに明記しないかぎり、書評公開と同じ年である。

このささやかな本は、越後和典先生(滋賀大学名誉教授)に捧げる。オーストリア学派経済学の研究者である越後先生は、独学者にすぎない私が稚拙な文章を綴るのを見守り、励ましてくださった。

国家という常識を疑って初めて、経済の本質は理解できる。本書をきっかけに、そのことに気づく人が一人でも増えてくれればうれしい。

〔追記〕Amazon.com など海外サイトでも売られています。