【飜譯】金と經濟的自由(グリーンスパン)

筆者:アラン・グリーンスパン
(一九六六年、ニュースレター「客觀主義者(Objectivist)」掲載。アイン・ランド『資本主義――知られざる理念』〔未邦譯〕に再録。飜譯元の文章はウェブサイト321goldより)

金本位制に對するほとんどヒステリーじみた敵意は、あらゆるタイプの國家主義者を結束させる。どうやら國家主義者は、金と經濟的自由が切り離せないものであること、金本位制が自由放任主義の手段であること、一方がなくては他方は成り立たないといふことを、自由放任主義を一貫して擁護する多くの者よりもはつきりと鋭く感じ取つてゐるやうである。
ク゛リーンスハ゜ンの正体-2つのハ゛フ゛ルを生み出した男
國家主義者の敵意の原因を理解するためには、まづ自由な社會における金の役割を理解しなければならない。

貨幣はあらゆる經濟取引の共通項である。金は交換手段としての役割を果たし、交換經濟において財やサービスの支拂手段として取引參加者すべてが受け入れる。したがつて市場價値の尺度や價値の保存手段、すなはち貯蓄の手段として利用することができる。

そのやうな商品が存在することは分業經濟の前提條件である。もしだれもが貨幣として受け入れる客觀的價値を持つ商品がなかつたら、原始的な物々交換で濟ませるか、自家菜園で糊口をしのぎ、專門化によるはかり知れない利益を諦めるしかない。もし價値の保存、すなはち貯蓄の手段がなければ、長期の計劃も取引も不可能だらう。

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