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政治は藝術の敵

人間と自由

藝術が人間の心に訴へる力は強い。だから政治は藝術を利用したがる。しかし政治と藝術は兩立しない。藝術は精神の自由を必要とし、政治はそれを否定するからである。
歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書 366)
大東亞戰爭(アジア太平洋戰爭)中、日本政府は國民の士氣を鼓舞するため、さまざまな藝術を利用した。なかでも強い影響力をもつたのが音樂、とくに歌である。作詞家・小説家のなかにし礼は『謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書、2011)で、軍歌を中心に歌と國家との關係を論じ、「作家はどんな国も支持してはならない」と説く。

支那事變(日中戰爭)開始直後の昭和十二年(1937)八月、内務省はレコード關係者との懇談會で、「頽廢的絶望的な歌をつくらないこと」「悲しげで軟弱な曲調は避けること」といつた事實上の指示を出した。これを受け、レコード會社はこぞつて自己規制に走る。歌謠曲の基調は、それまでのジャズ、シャンソン、ポップス、新民謠、日本調など「何でもあり」の多彩な色の世界から、「軍歌・軍国歌謡が幅をきかす単一色の世界」へ轉換するのである(62-63頁)。

昭和十六年(1941)十二月の太平洋戰爭開戰以來、軍歌の數はぐつと増える。そのなかには名曲もある。なかにしは「空の神兵」「若鷲の歌」「同期の櫻」を舉げたあと、「エンジンの音轟々と」で始まる「加藤隼戰鬪隊」(詩・田中林平、朝日六郎、曲・原田喜一、岡野正幸)の歌詞を引き、「まさに名文句。歌謡史に残る傑作である」と高く評価する(89頁)。

だがなかにしは軍歌に名曲が存在することを認めたうへで、賢明にも、別の視點からの批判を忘れない。上記の引用に續けて、かう記す。「しかし――と私は思う。いい歌であるからこそ、多くの人が愛し、戦闘意欲をかき立てられた。いい歌であるからこそ、人は勇躍、戦地へと赴いたのである。軍歌は人を煽り、洗脳し、教育するときには大変な効果を発揮するものなのだ」。そしてかうつけ加へる。「だから軍歌は、いい歌であればあるほど、名曲であればあるほど罪深い。このことを決して忘れてはならないのである」

軍歌が「名曲であればあるほど罪深い」とすれば、當然、軍歌によつて國民を「煽り、洗脳し、教育する」ことに協力した作詞家や作曲家の「罪」が問はれる。なかにしは「個人を責めるのは酷かもしれない。私自身、面識のある人の非をあげつらうようなことは慎むべきかもしれない」(93頁)とためらいながらも、軍歌と作家の責任について考察を進める。具體的に言及されるのは著名な作曲家三人で、それぞれ特徴的で興味深い。

一人目は、山田耕筰である。管絃樂、歌曲、歌劇などほとんどの音樂分野の日本における開拓者であり、「ペチカ」「赤とんぼ」などの童謡でも知られる山田は戰時中、「燃ゆる大地」「米英撃滅の歌」など多數の軍歌を書いた。敗戰の昭和二十年(1945)の暮れ、音樂評論家の山根銀二が新聞紙上で、山田は戰爭中の「樂壇の軍國主義化」について責めを負ふべき「戰爭犯罪人」であると批判する。これに山田はかう答へた。なるほど私は、「戰力増強士氣昂揚の面にふれて微力」ながら働いた。祖國の不敗を希(ねが)ふ國民として當然の行動をとつたのだ。戰時中國家の要望に從つてなした「愛國的行動」が戰爭犯罪になるのなら、「日本國民は舉げて戰爭犯罪者として拘禁」されなければならない、と(90-91頁)。

山田の反論に、なかにしはかう異を唱へる。

私は、「愛国的」つまり「日本のため」と言うこと自体、芸術家として根本的な誤りであると思う。問題を軍歌にしぼれば、作詞家であれ作曲家であれ、作家というものはどんな場面にあっても、最高の作品をつくろうと力を尽くすものである。それ自体はもちろん悪いことではない。しかし、その結果、作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、山田がそうであるように、ほとんど感じていなかったにちがいない。そこに彼らの罪がある。(91頁)

二人目は、服部良一である。山田とは對照的に、太平洋戰爭中に第一線で活躍してゐた作曲家のなかで、服部はほとんど軍歌に手を染めなかつた(107頁)。ジャズやブルースを愛する「筋金入りの敵性音楽好き」のうへ、曲調が政府の方針に合はず、何度も檢閲にひつかかつたことが影響したらしい。

淡谷のり子が歌ひ、服部の最初の大ヒットとなつた昭和十二年(1937)の「別れのブルース」からして、外國人マドロス相手の娼婦の暗く倦怠感に滿ちた歌で、國や軍部からただちに目をつけられた。次のヒット「雨のブルース」は「亡國調」だと評され、昭和十四年(1939)の「夜のプラットホーム」(詩・奧野椰子夫)でつひに發賣禁止となる。「柱に寄りそひ たたずむわたし」が出征兵士を見送る場面を聯想させ、それが「女々しい」のでいかんといふ理由だつた。かうした前歴が敬遠されてか、服部には軍歌作曲の依頼が殺到しなかつた。「ひょうひょうとした平和主義者」である一方で、亡國調と非難されても信念を曲げない強さを併せもつてゐたからこそ、戰爭を煽る罪にさほど加擔せずにすんだといへる。

三人目は、古賀政男である。「影を慕ひて」「丘を越えて」などのヒットで若くして巨匠となつた古賀は、「軍國の母」「さうだその意氣」など十曲以上の軍歌を書く。なかにしは山田耕筰への評價と同じく、古賀にも嚴しくかう書く。「古賀は、愛国者と国策協力者の区別ができなかった。おそらく日本で最も影響力のある音楽家の自分が軍歌を書くことで、それを聴く人びとにどんな影響を与えることになるのかを考える想像力に欠けていた」(113頁)

この批判はやや酷かもしれない。といふのも、「さうだその意氣」について古賀がこんな體驗を振り返つてゐるからである。レコード會社のスタジオで曲を披露すると、軍の幹部が「軟弱だ。戦意を高めるどころか、なんだか悲しくなるじゃないか」と文句を言つた。それに對し古賀はかう答へたといふ。「私は心を打ち込んで作曲したつもりですがこの詞にはこの曲しか作れません。気に入らなければ他の人に頼んでください」(戸ノ下達也『音楽を動員せよ――統制と娯楽の十五年戦争青弓社、222頁)

なかにしも古賀を一方的に断罪するのではなく、「深いところで……罪の意識をもちつづけていたように思えてならない」と言葉を足す。戰後の作品から、「戦前にはよく見られたハイカラな雰囲気は鳴りをひそめ、それに替わって、沈潜していくような内向的な歌の世界が表れてくるから」である。

なかにしは「作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は『主人持ち』になり、その側から発言することになる」(91頁)と強調する。これはフランスの文學者ポール・ヴァレリーが評論「精神の自由」で述べた次の言葉とほぼ同趣旨だらう。「いかなる場合にもおいても、政治と精神の自由は両立し得ない。精神の自由は党派性に対する根本的な敵だし、権力を掌握したあらゆる教条の敵である」(『精神の危機 他十五篇』恒川邦夫訳、岩波文庫、250頁)。強制を本質とする政治は、藝術をはじめとする精神の自由の敵であり、兩立することはない。

祈りが墮落するとき

人間と自由

宗教は人類の歴史とともに文化や倫理の形成に大きな役割を果たしてきた。しかし宗教は、他のさまざまな事柄と同樣、政治と結びつくとき墮落する。とりわけその墮落があらはになるのは、戰爭においてである。戰ふか戰はないかは本來個人の良心に照らして判斷すべき問題なのに、政治はそれを許さず一方的に戰場に驅り立て、政治と結託した宗教は後押しを買つて出る。敬虔な祈りはおぞましい呪ひに姿を變へる。
地球紀行?マーク・トウェインコレクション (18)
2003年3月、多國籍軍がイラクに侵攻しイラク戰爭が始まつた際、中心となつた米英の政治指導者は、ともにキリスト教の信仰が篤いことで知られた。米國大統領のジョージ・W・ブッシュアルコール依存症から立ち直つたのを機に四十歳近くで熱心なメソジスト(プロテスタントの一派)となつたといはれる。演説では「神の思し召し」「善と惡」「神の攝理」といつた宗教的表現を好み、「テロとの戰爭」を十字軍にたとへて物議をかもすこともあつた。

一方、英國首相のトニー・ブレアは、退任後にカトリックに改宗するまで英國國教會の信徒で、同じく熱心なカトリックの妻とは結婚前、何時間も神について語り合つたといふ。重要な決定の前にはしばしば聖書を讀み、2006年3月にテレビ番組に出演した際、イラク戰爭を決定するうへで信仰が一定程度影響したことを認めた。また米英の聖職者にも、政府の方針を支持し、參戰を鼓舞する聲が少なくなかつた。

政治家が個人として宗教を信仰するのに、とがめるべき理由はない。批判されるべきは、信仰にもとづく行動を、權力によつて國民に強制することである。信仰は個人の良心にかかはる事柄なのだから、強制は宗教そのものの理念に反する。しかし政治とは強制を當然と考へる營みだから、ほとんどの政治家はそれが理解できない。政治家に迎合する聖職者も同樣である。

英國民には、同じく宗教心から進んで戰場に赴いたり戰時の課税に應じたりした者もゐただらうが、當然、さうでない者も多かつた。にもかかはらずブッシュとブレアは開戰を強行し、イラク軍民と自國兵士に多數の犠牲を出した。舉句の果てに、開戰の理由とされたイラクによる大量破壞兵器の保有やフセイン政權とテロ組織アルカイダとの關係は、事實でなかつたことが判明した。

戰爭が公式には終結したいまも、イラクでは治安が安定せず、多くの人々が避難生活を餘儀なくされてゐる。政治指導者の信仰心が動機の一つとなつたイラク戰爭は、政治的にも道徳的にも大きな誤りだつた。追隨した日本政府も同罪である。

戰爭の片棒を擔ぐ宗教の欺瞞を、優れた智識人は憎んできた。その一人が『ハックルベリー・フィンの冒險』などで有名な、米國の作家マーク・トウェイン(1835-1910)である。エッセイ「出兵の祈り」(『地球紀行――マーク・トウェイン・コレクション(18)』所收。野川浩美譯、彩流社、2001年)には、その批判精神が凝縮されてゐる。

軍隊が前線に赴く前日、教會で祈りが捧げられる。舊約聖書から戰爭に關する章を讀んだ後、牧師が行つた長い祈祷は、「常に慈悲深く心優しい万人の神が、私たちの尊い若い兵士たちを見守り、助け、元気づけ、兵士たちを進んで愛国的な仕事に取り組むよう促し、戦う日も、死ぬときも兵士たちに恩恵を施し、彼らを危険から守り、彼らを神の御手にのせ、血まみれの攻撃の際も彼らに力と自信をあたえて無敵にし、彼らが敵を倒すのを手伝い、彼らと彼らの旗と国に不滅の名誉と栄光を授けるだろう、云々」(380頁)といふ、戰意を煽るものだつた。

そこへ奇妙な外國人が現れ、かう語る。牧師が行つた祈りは、じつは二つある。一つは言葉として口から出た祈りだが、もう一つは口から出なかつた祈りだ。神の耳には兩方の祈りが屆いた。語られなかつた祈りを言葉にするやう、自分は神に命じられてゐる。聞くがよい。

ああ、主なる我らの神よ、我々の砲弾で、敵の兵士たちを血まみれの破片にするまで引き裂くときに力をお貸しください。晴れ晴れとした敵の土地を、倒れた愛国者たちの青白い死体でおおうとき、力をお貸しください。負傷し、苦痛に身悶えする敵兵の叫びで銃のとどろきをかき消してしまうときに、力をお貸しください。敵の粗末な家を炎の嵐で廃屋にしてしまう手伝いをしてください。敵の罪なき未亡人たちの心を無意味な悲しみでしめつける手助けをしてください。敵を、幼い子供たちとともに、ぼろ着のまま飢えと渇きにあえぐホームレスにして、夏は燃えるような日差し、冬はいてつく風のなか、魂はずたずたになり、苦痛で疲弊し、おもに墓場という避難所を求めても断られながら、彼らの荒れ果てた不毛の土地を、よるべのないままさまよわせる手伝いをしてください――主を崇拝する我々のために、敵の望みをくじき、彼らの生命を枯らし、過酷な彼らの巡礼を長引かせ、彼らの足取りを重くし、彼らの涙で行く手を水びたしにし、彼らの傷ついた足から出る血で白い雪を汚す手助けをしてください!(382-383頁)

人はともすれば、政治家や同調する聖職者が唱へる莊重な祈りに感銘し、彼らが促す戰爭を崇高な行ひだと思ひ込む。しかしトウェインは、一見眞摯な祈りの裏にある、隣人を呪ふに等しい「語られなかった祈り」の忌まはしさを見逃さなかつた。

古典的自由主義者だつたトウェインは、正義の名を借りた無用の戰爭を憎んだ。南アフリカでのボーア戰爭(1880-81、1899-1902)、米西戰爭(1898)とそれに續く米比戰爭(1899-1913)、日本も加はつた支那での義和團事件(1900)などに帝國主義國家の振る舞ひだと怒り、1901年から死ぬまでアメリカ反帝國主義連盟の副會長を務めた。1904-5年に口述筆記された「出兵の祈り」にも、帝國主義戰爭への怒りがこもつてゐる。死後百年を經て、いまだに宗教が無用の戰爭に奉仕してゐることを知れば、苦蟲を噛み潰したやうな顏をさらに險しくするに違ひない。

世界標準を疑へ

市場と國家

景氣が惡いときには、中央銀行が金融緩和を行ひ、政府が財政支出を擴大して、經濟をテコ入れするのが經濟政策の「世界標準」だといはれる。そのとほりだ。しかし世界標準だから正しいとは限らない。現在の世界標準とされるこれらケインズ流の經濟政策は、むしろ世界經濟に危機をもたらした元兇であり、すぐにやめなければならない。
そして日本経済が世界の希望になる (PHP新書)
安倍晋三政權が打ち出したアベノミクスは、インフレ目標値の採用など細部に經濟學會内で異論はあるものの、大枠では金融緩和、積極財政を柱としてをり、その意味では立派な世界標準の經濟政策である。じつさい、アベノミクスに賛同する學者や評論家は、世界標準であることをさかんに強調し、國民に支持を廣げようとしてゐる。その心強い援軍ともいふべき本が先日出版された。ポール・クルーグマンそして日本経済が世界の希望になる』(山形浩生監修・解説、大野和基譯、PHP新書、2013年)である。

クルーグマンといへばノーベル賞受賞者であり、名門プリンストン大學の教授にして、世界で最も有名な經濟學者の一人だ。そのクルーグマンが、ビジネスマンをおもな讀者とする新書で、アベノミクスは「世界の希望」だと太鼓判を押すのだから、影響力は大きい。クルーグマンの主張は以前も批判したことがあるが、あらためてその誤りを指摘しておく。アベノミクスの第三の矢である成長戰略については、クルーグマンも「経済構造は複雑さを深めており、政府が成長分野を見通すことはきわめて難しい」(138頁)と正しく批判してゐるので、ここでは第一の矢の金融緩和、第二の矢の財政擴大に絞る。

金融緩和
クルーグマンは冒頭近くで、不況時の金融政策についてかう述べる。「世界を見渡してみれば、FRB連邦準備制度理事会)も、ECB(欧州中央銀行)も、中央銀行が金融緩和を行って経済をてこ入れしている。こうした方法は王道といってよい。しかし日本国内における一部の識者は世界標準の方法論に反対し、金融緩和批判に固執してきた」(5頁、強調は引用者)。早くも葵の御紋、「世界標準」を振りかざしてきた。しかし正しいかどうかは論理的に檢證しなければならない。

クルーグマンは金融緩和を行ふべき理由を次のやうに説明する。「金融緩和によって名目金利が一定に抑えられている環境のなかで、期待インフレ率が上がれば実質金利〔名目金利から期待インフレ率を差し引いたもの〕は下がる。そこで投資を行いやすい環境が生み出され、景気が刺激されることになる」(7頁)。たしかにそのとほり、實質金利の低下は景氣を刺戟する效果がある。だが問題は、それが持續性のない一時的なカラ景氣にすぎず、むしろ反動で新たな不況や經濟危機を招いてしまふことだ。

その典型例が、アラン・グリーンスパンFRB前議長による金融緩和がもたらしたバブルとその崩潰である。クルーグマンは「グリーンスパンの根本的な問題は、金融市場は完璧である、と盲目的に過信していたこと」(93頁)などと言ふが、これほど白々しい嘘はない。グリーンスパンは任期中、繰り返し金融緩和を行ひ、IT(情報技術)、住宅といふ二つのバブルを引き起こした。ITバブルの崩潰による混亂を鎭めようと、さらに市場にマネーを注ぎ込んだ結果が、住宅バブルである。もしグリーンスパンが「金融市場は完璧」と信じるのなら、市場でマネーの量が收縮するに任せるはずで、それを人爲的に増やすはずがない。

日本の景氣低迷も、それまでのマネー注入が經濟構造を歪めた後遺症である。アベノミクスで金融緩和を強化すれば、一時的な景氣改善はあつても、長い目で經濟が正常に戻るのを妨げるだけだ。

財政擴大
クルーグマンは以前、財政擴大には比較的愼重だつたが、いまではその考へを改め、「積極的な拡大を行う必要がある、と確信している」といふ(39頁)。むしろ危機に直面したときは、「財政政策がより有効な解決策である」とすら述べる。なぜなら「金融政策が人びとの期待を変えることに依存する、という点に比べ、財政出動の長所は、それが人びとの期待を変えなくてもよい、ということだ。人びとが(当局の)約束を信じようと、信じまいと、景気を拡張させる効果がある」。要するに「目の前の橋をつくることによって、現実の雇用が生まれるからだ」。

しかし金融緩和と同じく、これも近視眼的な考へ方だ。たしかに、政府が橋をつくれば、一時的な雇傭は生まれる。だが多くの人々が本當にほしがるものをつくらなければ、經濟は持續的に發展しない。だれもが行きたがる場所に橋ができれば、經濟の發展に寄與するが、だれも行かない場所に橋を架けても、資材の無駄使ひにしかならない。雇はれた人々は一時カネ囘りがよくなつても、それで終はりである。

しかも政府がつくるものはほとんどつねに、人々がほしがらないものである。なぜなら、もし人々がほしがるものであれば、民間企業が進んでつくるはずだからだ。つまり、政府の公共事業は資材・勞力の無駄使ひであり、やらないはうがましである。もしやれば、人々が眞に求める産業分野から資材・勞力を奪ふことになり、經濟恢復を妨げる。ジャーナリストのヘンリー・ハズリットが指摘するとほり、「橋の建設労働者が増えた分、自動車工場やテレビ製造工場や紡績工場で、あるいは農園で、労働者は減っている」(『世界一シンプルな経済学』38-40頁)。

マルクス主義からケインズ主義へ
評論家の山形浩生は解説で、金融緩和と財政支出を同時に行なふといふクルーグマンの結論に賛同したうへで、「古典的なIS-LMモデルの分析から出てくるのとまったく同じ」(185頁)と評してゐる。IS-LMモデルとはケインズの理論を説明するため八十年近く前に考案されたものだから、要するにクルーグマンは繪に描いたやうなケインズ主義者である。ケインズ理論は民主主義國の近視眼的な政治家にはまことに都合のよい理論だが、經濟とは人々が欲するものを自發的に生み出す過程であるといふ認識が完全に缺落してゐる。

かつて社會主義諸國の經濟學者は、マルクス主義こそ唯一の科學的眞理だと人々に信じ込ませようとした。現在、日米歐など混合經濟體制諸國の學者や評論家の多くは、いまや世界標準となつたケインズ主義こそ眞理だと人々に信じ込ませようとしてゐる。しかし騙されてはならない。日米歐の財政金融危機は、ケインズ主義による政府の經濟介入が招いたものなのだ。誤つた世界標準を疑はなければ、經濟問題の正しい解決法は見つからない。

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

統制經濟の悲喜劇

市場と國家

政府は政治的目的を達するために、しばしば經濟に介入する。しかし政府が介入すればするほど、經濟の働きを歪める。その結果、政府は目的を果たせないばかりか、思はぬ副作用を惹き起こす。それを抑へ込まうと介入を強めれば、さらなる副作用をもたらす惡循環に陷る。
黙って働き笑って納税
政府の介入が最も甚だしいのは戰時である。戰爭に勝つために國家の總力をあげるといふ大義名分の下、經濟を嚴しく統制する。しかし國民生活に不便を強ひると反撥を招くし、統制の及ばない領域もある。そこで國民を煽動・洗腦して協力を促す必要が出てくる。そのための手段の一つがスローガン(標語)だ。里中哲彦黙つて働き 笑つて納税――戦時国策スローガン傑作100選』(現代書館、2013年)には、政府やその關係團體などが昭和戰前期、國民を煽動・洗腦するためにこしらへた標語が年代順に收められてゐる。

戰時國策スローガンはその性格上、勇ましいものばかりだが、背景にある經濟事情を知ると、經濟を思ひどほりにできない政府の焦りが透けて見える。以下、いくつか紹介しよう。なほ當時の經濟事情については、本書の解説のほか、山中恒戦争ができなかった日本――総力戦体制の内側』(角川oneテーマ21、2009年)を參照した。

胸に愛國 手に國債(24頁)

大東亞戰爭(アジア・太平洋戰爭)にかかつた戰費は、それまでの日清・日露戰爭、第一次世界大戰に比べると桁違ひに膨らんだ。それでも財源は國民に頼るしかない。戰費の國民所得に對する割合は、支那事變(日中戰爭)が始まつた1937(昭和12)年には16%にとどまつてゐたが、太平洋戰爭に突入してから急激に高くなり、敗戰前年の1944(昭和19)年には97%にも達した。

政府がカネを召し上げる手段は、第一には税金だが、それだけではとても足りない。そんなとき、いつの時代も頼るのは國債である。支那事變以來、發行限度を擴大し、支那事變國債や大東亞戰爭國債を次々と起債した。ただし税金と違ひ、國債は贖入を強制できない。そこで政府は上記標語のやうに、國債は愛國の證しだと訴へ、買ふのが國民の務めだといふムードを煽つたのである。他にも「買つた國債 賣らぬが忠義」「求めよ國債 家庭の軍備」といつた標語がある。國民は生活を切り詰め、のちに敗戰で紙くず同然となる國債を買ひ求めた。

男の操だ 變るな職場(74頁)

昭和戰前期、政府は戰爭に必要な軍需産業を發展させるため、重化學工業の生産力擴充計劃を進めた。この結果、機械、船舶、金屬などの重化學工業は、とくに支那事變以降、働き盛りの男性が軍隊に取られたこともあり、熟練工を中心に深刻な人手不足に陷る。企業の間では、人手を確保するため、他社からの引き拔きが活溌になつた。引き拔かれた側はたちまち生産量が低下する。事態を憂慮した内務省社會局は1937(昭和12)年10月、新聞廣告やポスターで熟練工の募集をしないやう、自肅を呼びかける始末となつた。

1940(昭和15)年に出された上記標語も、引き拔き防止が目的とみられるが、當時としても時代がかつた「男の操」に訴へて、はかばかしい效果があつたとは考へにくい。その證據に、翌年には勞働力の移動防止を目的とした國民勞務手帖法が公布され、これがないと米の配給が受けられなくなつて初めて、勞働者は職場に張りつくやうになつた。

無職はお國の寄生蟲(138頁)

近衞文麿内閣は1938(昭和13)年6月23日、臨時閣議を開き、企劃院が立案した物資總動員計劃を承認すると、鋼材、棉花、羊毛、木材、重油、生ゴムなど三十二品目の使用制限を發表した。これが産業界に及ぼした打撃は深刻で、なかでも中小商工業は多くが廢業や轉業に追ひ込まれ、大量の失業者を出した。また1940(昭和15)年に出された奢侈品等製造販賣制限規則で、「贅澤は敵だ」の標語そのままに、奢侈贅澤品の製造販賣が原則禁止されたことも、寶石、貴金屬、高級呉服など關聯業界で多くの失業者を生み出した。

上記標語は1942(昭和17)年のもの。「お國」の介入政策のせゐで職を失つたのに、寄生蟲呼ばはりされてはたまらない。著者の里中が憤るとほり、「公衆の税金で暮らす自分たち〔政治家・役人〕こそ、寄生虫の自覚をもってしかるべき」であらう。

儲けることより奉仕の心(84頁)

1940(昭和15)年の標語。時期はややさかのぼるが、1933(昭和8)年3月1日に發表された滿洲國經濟建設要綱は「從來の無統制なる資本主義經濟の弊害に鑑み、これに所要の國家的統制を加へ、資本の效果を活用し、もつて國民經濟全體の健全かつ溌剌たる發展を圖らんとす」とし、配當を制限し、利潤追求を否定した。滿洲での産業開發は「儲けることより奉仕の心」をもつて進めるべきだといふわけである。

しかしこれでは資本家が投資するはずがない。滿洲國は關東軍による建國から五年たつても産業開發は困難なままで、成果を舉げられなかつた。さすがの關東軍も困り果て、最後は内地資本を受け入れた。鮎川義介率ゐる日産財閥にそれなりの採算に合ふ援助を保證するからと約束し、滿洲進出を承諾させたのである。

協力一致 強力日本(20頁)

政府は國民に一致協力を呼びかけるのが大好きである。戰時中もさうだつた。ところがその政府自身が、内部でまつたく一致協力できてゐない醜態をさらけ出す。官廳の繩張り爭ひである。

たとへば化學製品は、商工省がアンモニア、硫酸、曹達などをまとめて一元的統制を圖つたが、硫安(肥料)を所管する農林省と話し合ひがつかなかつた。電氣機器は、商工省が電氣通信機器を合はせて統制しようとすると、逓信省が電氣通信機器はすべて自省の所管だと主張した。石炭は、商工省が樺太炭を北海道炭と一括して統制しようとし、樺太を所管とする拓務省ともめた。各省ばらばらの繩張り爭ひに、國民は「一致協力は、まづ官からやれ」と皮肉つた。

政府の介入政策がもたらす混亂も、ここまでくるともはや喜劇である。しかしそのしわ寄せを食ふ國民にとつては、笑ひ事ではすまされない。統制經濟の悲喜劇は、政府の傲慢と無能を映し出す。

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

國家崇拜の醜惡

人間と自由

國家とは人間の形成する集團の一つにすぎない。ところが近代以降、社會における國家の存在が異樣に肥大した。それが最も鮮明になるのは戰爭のときである。戰時には、國家を超える價値觀を信じることが許されず、逆らふ者には賣國奴の罵聲が投げつけられる。醜惡の極みである。しかし多くの人々がその醜惡な國家崇拜に取り憑かれやすいこともまた、苦い事實である。
外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)
9月7日は作家、泉鏡花(1873-1939〔明治6-昭和14〕)の命日、鏡花忌である。鏡花といへばリアリズムの對極にある幻想的な作風で、戰爭の惡を糺彈する反戰文學とはおよそ縁遠く見える。しかし實際には、戰爭の非人間性を扱つた小説をいくつか殘してゐる。これらの作品は内容が不穩當とされてか、戰中刊行の全集には收録されず、戰後版に追加された別卷に補遺として收められた。具體的には「豫備兵」「琵琶傳」「凱旋祭」などだが、なかでも作者の思想が直截的に表現されたのが、今囘紹介する「海城發電」(岩波文庫『外科室・海城発電』、青空文庫などに所收)である。

この作品で描かれるのは、日清戰爭中の出來事である。日清戰爭(1894-1895〔明治27-28〕)は、のちの日露戰爭の陰で目立たないが、近代日本史上初めての本格的對外戰爭であり、軍國主義の確立に大きな役割を果たした。

日露戰爭時と比べた特徴の一つは、反戰論がほとんど見られなかつたことである。福澤諭吉は、この戰爭は文明と野蠻との戰ひであり、文明の義戰であると論じたし、日露戰爭では反戰論を貫くことになる内村鑑三も、日本は東洋における進歩主義の戰士であり、ゆゑに戰爭は義戰だと主張した。北村透谷キリスト教徒が創設した日本平和會は、數少ない反戰組織の一つだつたが、日清戰爭が起こると、文明への義戰として支持する會員が現れ、活動が續けられなくなつた。

戰爭を支持したのは智識人だけではない。日清戰爭を題材にした芝居の上演中、激高した觀客が清國兵に扮した俳優に毆りかかるなどの事件が相次いで發生した。民衆も「現実とフィクションの区別がつかなくなるほど……戦争に熱狂していた」(小松裕『「いのち」と帝国日本』〈日本の歴史14〉小学館、34頁)のである。

かうした熱狂的な雰圍氣の中、鏡花は1896〔明治29〕年、「海城發電」を雜誌に發表する。舞臺は日本軍が占領した支那遼寧省の海城。捕虜になつた赤十字の日本人看護員が清國の傷病兵の看護に盡力し、感謝状をもらつて歸る。日本軍の軍夫(軍の雜役をする人夫)から敵情を訊ねられた看護員は、休む間もなく看護に沒頭したから敵情を探る餘裕などなかつたと答へ、これに激昂した軍夫たちは「國賊逆徒、賣國奴、殺せ、撲れ」と叫ぶ(岩波文庫版、176頁。正漢字に變更)。軍夫の頭である百人長は看護員に感謝状を破り捨てるやう促すが、看護員はこれを拒む。「良心に問へ!」と迫られるが、「やましいことは些少(ちつと)もないです」ときつぱり答へる(177頁)。そして靜かにかう語る。

自分の職務上病傷兵を救護するには、敵だの、味方だの、日本だの、清國だのといふ、左樣な名稱も區別もないです。唯(ただ)病傷兵のあるばかりで、その他には何もないです……毀譽襃貶は仕方がない、逆賊でも國賊でも、それは何でもかまはないです。唯看護員でさへあれば可(いい)……愛國心がどうであるの、敵愾心がどうであるのと、左樣なことには關係しません。(181-182頁)

看護員の主張に反駁できない軍夫たちは腹いせに、看護員を慕ふ病氣の清國人少女を引きずり出して凌辱し、死に至らせる。これを目撃した英國の新聞記者が「海城發」と記し、本國にかう打電するところで物語は終はる。「予は目撃せり。日本軍の中には赤十字の義務を完(まつたう)して、敵より感謝状を送られたる國賊あり。しかれどもまた敵愾心のために清國(てきこく)の病婦を捉へて、犯し辱めたる愛國の軍夫あり。委細はあとより」(191頁)

國家崇拜に憑かれた者は、國家に忠誠を盡くすことはそれだけで稱へられるべき道徳的善である一方、國家に背くことはそれだけで許しがたい道徳的惡だと信じ込んでゐる。だから作中の軍夫のやうに、彼らが振りかざす最高の徳目は愛國心であり、同意しない者に投げつける惡罵は國賊、賣國奴である。「日本人ではない」といふ罵倒もある。「海城發電」で、ある軍夫は看護員をかう中傷し、罵る。「支那(チャン)の探偵(いぬ)になるやうな奴あ大和魂を知らねえ奴だ、大和魂を知らねえ奴あ日本人のなかまじやあねえぞ、日本人のなかまでなけりや支那人(チャン)も同一(おんなじ)だ」(185頁)

しかし國家に忠誠を盡くすかどうかは道徳的善惡と關係ない。鏡花がさう考へてゐることは、看護員の態度を肯定的に描いてゐることからもうかがへるが、さらに明瞭に表れるのは英國人記者の電文である。すでに引用したとほり、そこには「敵より感謝状を送られたる國賊」「清國の病婦を捉へて、犯し辱めたる愛國の軍夫」といふ反語表現が對照的に竝べられてゐる。敵味方の區別なく怪我人を看護する眞摯な人物が國賊と貶められ、敵國民といふ理由だけで少女を凌辱して恥ぢない獸のやうな輩が愛國者と稱へられる。こんなことは、もし國家がまともな道徳的規準であるならありえない。

經濟學者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、「國家は神である」と言ふ人間は武器と牢獄を崇拜してゐるのであり、國家崇拜は力の崇拜である("The worship of the state is the worship of force.")と斷じた。「海城發電」で愛國心を振りかざす軍夫たちがおぞましい暴力に訴へたことは、ミーゼスの言葉の正しさを象徴的に物語る。

それでも看護員の信念を最後まで變へることができなかつたことは、暴力の勝利を信じない者にとつて希望である。國賊、賣國奴と罵聲を浴びながらも毅然とした看護員の描冩からは、「力の崇拜」を拒否する鏡花自身の覺悟が傳はつてくる。「何らか固き信仰ありて、譬(たと)ひその信仰の迷へるにもせよ、斷々乎一種他の力の如何ともしがたきものありて存せるならむ」(177頁)。日本を舉げて國家主義への道を走り出し始めた時代、「斷々乎」としてそれに異を唱へた知性と勇氣は、今こそ輝いて見える。
(參照サイト「伊豆利彦のホームページ」)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

タックス・ヘイブンは惡か

市場と國家

税金がない、またはほとんどない國や地域であるタックス・ヘイブン(租税避難地)は、日本を含む他國政府から惡のレッテルを貼られ、地球上から抹殺されさうになつてゐる。しかしタックス・ヘイブンは惡ではない。惡いのは重税を課す政府であり、タックス・ヘイブンはその魔手から人々を守る善である。
タックス・ヘイブン――逃げていく税金 (岩波新書)
元財務官僚で辯護士の志賀櫻は『タックス・ヘイブン――逃げていく税金』(岩波新書、2013年)で、タックス・ヘイブンを舞臺に行はれる「惡事」を三つに分類する(6頁)。(1)高額所得者や大企業による脱税・租税囘避(2)マネー・ロンダリング、テロ資金への關與(3)巨額投機マネーによる世界經濟の大規模な破壞――である。しかしこれら「惡事」の責任をタックス・ヘイブンに押しつけるのはお門違ひである。

租税囘避
まづ、租税囘避である。志賀は米最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズの「税は文明の対価である」(224頁)といふ言葉を引き、税を正當化する。だがホームズは間違つてゐる。文明は、暴力や脅迫による強制でなく、互ひの合意にもとづく自由で平和な協力を土臺に築かれる。ところが税は、まさしく政府の暴力や脅迫にもとづき、人々から財産を一方的に奪ふ。だから哲學者ティボール・マキャンが斷ずるとほり、税とは「文明的ではなく、野蠻な手段(barbaric method)」である。

もちろん多くの國で、脱税は法律違反である。しかし政府の法律に違反したからといつて、惡だとは限らない。全體主義國における各種自由の制限はその典型だが、それに限らない。言論や職業の自由が侵されないやう、國外に亡命することが惡でなければ、財産權が侵されないやう、タックス・ヘイブンに資産を移すことも惡ではない。

志賀は、富裕層がタックス・ヘイブンを使つて國外に資産を逃すほど「富裕でない中所得層・低所得層にツケが回されてくる」(55頁)と富裕層を非難するが、これは奴隸制を敷いた國の役人が「體力のある者が國外に逃げるほど、殘つた體力の弱い者にツケが囘されてくる」と逃亡者を非難するのと同じである。「苛政は虎よりも猛し」の言葉どほり、惡いのは重税を課す獰猛な政府であり、そこから逃げ出す個人(およびその資産を預かる企業・金融機關)でもなければ、タックス・ヘイブンでもない。

マネー・ロンダリング
次に、マネー・ロンダリング資金洗滌)である。そもそもマネー・ロンダリングの原因の多くは、政府自身がつくりだす。志賀が記述する(124-125頁)とほり、國際的マネー・ロンダリング對策のおもな對象となつてきたのは、麻藥犯罪、テロ、税犯罪である。このうち税犯罪(脱税)はすでに述べたやうに、そもそも惡として非難するのが誤りである。

麻藥犯罪は、「麻藥との戰ひ」を掲げる米國を筆頭に、麻藥を非合法化したことが原因である。禁酒法の時代に酒がらみの犯罪が横行し、ギャングの隆盛をもたらしたのと同じだ。似た話で、日本の暴力團、五菱會がスイスの銀行に口坐を開設し、ヤミ金融で稼いだ收益約五十億圓を隱匿してゐた事件があつた(131頁)。ヤミ金融の成長は、政府が貸附金利の上限を規制したことが原因である。

テロも、志賀が言ふやうな單なる「貧困問題」(145頁)が理由ではなく、米國政府を中心に中東などでの政治・軍事介入を強め、現地の反感と憎惡を招いたことが本質である。

強盜や詐欺など紛れもない犯罪で不正に得た資金が、タックス・ヘイブンの銀行に預けられることもあるだらう。しかしだからといつて、銀行に顧客情報を言はれるがまま渡すやう強制するのは、プライバシーや財産權保護の面から明らかに行き過ぎである。銀行祕密の重要性は後述する。

經濟危機
三番目に、經濟危機である。これも原因は政府である。志賀は、經濟危機をもたらすのは「暴走する過剰なマネー」と、「ヘッジ・ファンドなどにマネー・ゲームの舞台を提供しているタックス・ヘイブン」だと主張する(148-149頁)。まづ後者は誤つてゐる。どれほどマネー・ゲームをやりたくても、マネーの量が少なければできないし、ましてや經濟を搖るがすほどの「暴走」は起こしえないからだ。志賀は「高度に技術的な金融商品」がマネーを暴走させると考へてゐるやうだが、それは違ふ。複雜な金融派生商品などなかつた時代でも、たとへば十八世紀英國の南海泡沫事件のやうなマネー暴走による危機は生じてゐる。

眞の原因は前者の核心、つまり「過剰なマネー」にある。そして現代において、過剩なマネーを生みだしうる主體は、政府(中央銀行)以外にありえない。志賀自身、1980年代日本のバブルとその崩潰による金融危機は「政策の失敗が引き起こした危機の典型」(162頁)と、日銀の責任に言及してはゐる。しかしすぐに矛先をヘッジ・ファンドタックス・ヘイブンに轉じてしまふ。志賀は「新自由主義の下で規制から解き放たれた人間の強欲」(225頁)を難ずるが、非難すべきは自發的な市場取引で欲求を滿たさうとする人々ではなく、貨幣創造や課税といつた特權を利用して強欲を滿たさうとする一部の人間、すなはち政府關係者である。

銀行祕密
以上のやうに、タックス・ヘイブンは、一部の犯罪者に惡用される場合はあるにせよ、それ以上に兇惡な政府から市民を守る、善き砦である。逆にいへば、タックス・ヘイブンを惡の權化のやうに攻撃するのは、政府の恐ろしさに鈍感な證據である。志賀がそのやうな鈍感をもろにさらけだすのは、タックス・ヘイブンの特徴である銀行祕密保護について述べた箇所だ。「スイスの悪名高い銀行秘密保護法」(72頁)、「オーストリアは……〔銀行祕密保護法の〕軛(くびき)から逃れられない」(74-75頁)といつた言葉の端々にもそれは十分見て取れるが、ひどいのはリヒテンシュタインに關する記述である。

志賀は「ドイツ政府はリヒテンシュタインに圧力をかけて、ドイツの納税者がリヒテンシュタインを利用して租税回避することを防止するよう措置を求めた。当然ながらプライベート・バンキングにある秘密口座に関する情報提供がその中心であったであろう」と述べた後、あざ笑ふやうにかう書く。「リヒテンシュタインの皇太子は、このようなドイツによる圧力に悲鳴を上げて、『大国による小国の弱い者いじめだ』と泣かんばかりの抗議をした。新聞によると本当に泣かんばかりであったらしい」(74頁)

しかし志賀は、抗議の内容を一言も記してゐない。皇太子ハンス・アダム二世の理にかなつた言ひ分を新聞記事から拔粹しよう。政府の暴虐に對する感覺の鋭さは、志賀とは段違ひである。

リヒテンシュタインとスイスは多くの人々、とりわけユダヤ人を救つた。ユダヤ人には、スイスやリヒテンシュタインに安全に預けられたお金を使ふことで、ホロコーストナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)の間、安全を買ふことができた人々がゐる。銀行祕密は、共産主義政府に迫害された人々を助けもしたし、血に飢ゑた獨裁者が牛耳る第三世界諸國の生命を救ひつづけもした。ドイツやその他諸國の財政は信じがたい窮地に陷つてゐる。税逃れの原因は拙い財政運營と重税であり、銀行祕密ではない。

志賀も言及する(131頁)とほり、スイスの銀行がホロコーストで犠牲になつたユダヤ人の口坐に殘留した資金を返還せず、問題になつたことがある。だが申し出た遺族だけに拂ひ戻して後々悶着にならないかといふ懸念があるし、もし惡意で懐に入れた部分があつたとしても、過去の善行がそれで帖消しになるわけではない。タックス・ヘイブンは、重税國家といふ野獸の爪から守つてくれる隱れ家である。たとへ富裕層でなくても、それがなくなれば、私たちの安全は強く脅かされるだらう。

(「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

戰爭はいかがはしい商賣

戰爭と平和

世の中には、戰爭を崇高な行爲と崇める一方で、商賣を俗惡な行爲と蔑む人々がゐる。しかし戰爭の多くは商賣である。それも、顧客が望む品質・價格の商品を自發的に贖入してもらふ、まつたうな商賣ではない。多くの人々の生命を犠牲にしながら、しばしば劣惡な商品を一方的に押しつけ、對價を課税で強制的に奪ひ、政府と親しい一部の企業が潤ふ、いかがはしい商賣である。
戦争はペテンだ―バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定
およそ八十年前、このやうな戰爭の惡を糺彈した米國人がゐた。左翼の大學教授などではない。海兵隊少將のスメドレー・バトラーである。戰場での活躍で數々の勳章に輝き、英雄と呼ばれたバトラーは、やがて米國の對外侵攻戰爭(帝國戰爭)に公然と反對するやうになる。みづからの體驗に照らして、一部の大企業や金融機關の利益のために一般兵士を犠牲にする戰爭はやるべきでないといふのである。バトラーの發言は政府の怒りを買ひ、就任が豫想されてゐた海兵隊司令官への道も斷たれ、1931年に退役する。持論を記したのが、1935年の小册子『戦争はいかがわしい商売だ』(War Is A Racket)である。元桜美林大教授、吉田健正が著書『戦争はペテンだ――バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』(七つ森書館、2005年)に邦譯を收めてゐる。

「戦争は……いかがわしい商売だ。これまで、いつもそうだった」(11頁)とバトラーは單刀直入に説き起こす。「その実体を知っているのは内部の少数グループだけだ。それは、大勢の人が犠牲を払って、ごくわずかな人々の利益のために行われる。ものすごく少数の人だけが戦争から膨大な利益を得るのだ」(同)

戰爭から多額の利益を得る「ごくわずかな人々」とは誰か。バトラーは第一次世界大戰を例に、具體名を舉げてゆく(17-19頁)。爆彈メーカーのデュポンは、戰時中の平均利潤が通常の十倍近くに増えた。ベテルヘム鐵鋼は八倍、ユナイテッド・ステーツ・スティールは二倍強に膨らんだ。銅メーカーのアナコンダは三倍、ユタ・コッパー社は四倍である。その他、皮革、化學、ニッケルなどの製造業者も軍需品の販賣で儲けを大幅に伸ばした。そして非上場のため數値は不明だが、企業や政府に融資を行つた銀行が巨額の收益をあげたのは間違ひない。

しかも商品には、役に立たないものも少なくなかつた(20-22頁)。蚊帳業者は海外勤務の兵士用に二千枚の蚊帖を賣つた。バトラーはかう皮肉る。「泥だらけの塹壕で寝ようとするときにつるして欲しい、と政府は考えたのだろうか。片手はシラミのたかる背中をひっかき、もう一つの手でちょろちょろ走り回るねずみを追いまわす兵士たちに」。時代がかつた四輪荷馬車六千臺が大佐用に賣られたが、一臺も使はれなかつた。造船業者が納めた船の一部は木造で、繼ぎ目がはがれて沈んでしまつた。戰爭が終はると、背嚢とそれに入れる備品約四百組が倉庫に積まれたが、「中身に関する規則が変わったため、これらの品々は今やスクラップにされている。もちろん、業者は儲けたままだ」。これら無駄な出費のツケは國民に囘される。

軍需産業の荒稼ぎは上院の軍需産業調査特別委員會(ナイ委員會)で一部が曝露され、政府は戰時收益の規制に腰を上げた。しかし損失、すなはち戰爭を戰ふ人々の損失は規制されないとバトラーは言ふ。「兵隊が失うものを一個の眼や一本の腕だけに制限したり、傷を一つまたは二つだけに制限したりする計画はない。命の損失を制限する計画も」(23頁)。全米の在郷軍人病院には、戰場の異常な緊張で精神が破壞され、「生ける屍」となつた元兵士が多數收容された。

しかも兵士は「お金でもツケを払った」(26頁)。米西戰爭(1898年)まで、米國には報奬制度があり、兵士はお金のために戰つた。その後、政府は報奬金を廢止し、代はりに徴兵制を敷くことで戰費を引き下げた。「兵士たちは自分たちの労働について交渉することはできなかった。ほかのみんなはできたのに、兵士たちには許されなかった」(27頁)。若者が進んで召兵に応じるやう、勳章制度を作つた。米國では南北戰爭(1861-65年)まで勳章なるものは存在せず、その後は米西戰爭まで新たな勳章が發行されることはなかつたといふ。

兵士の給與は工場勞働者よりやや多いが、その半分は扶養家族のために差し引かれ、保險料も拂はされる。さらに自由公債(米國政府が戰費調達のため第一次大戰中に發行した國債)も買はなければならないので、「弾薬も服も食料も、ほとんど自腹で払ったも同然、ということになる。大半の兵士は、給料日でも一銭もない」(28頁)。そのうへ政府は兵士に自由公債を百ドルで買はせ、戰爭から戻つたものの職のない彼らから、元本割れの八十四ドルや八十六ドルで買ひ戻した。差額で潤つたのは政府と、公債を取り扱ふ銀行である。

第一次大戰で當初中立を標榜した米國が英佛側として參戰に踏み切つたのは、米資本家への多額の負債を英佛が返せなくならないやうにするためだつたといふ説がある。バトラーはこれを事實とみる。宣戰布告の直前、英佛側の委員會が大統領を訪問し、「もしわれわれが負ければ……この金を返済できません」と參戰を暗に促したといふ(34-35頁)。しかし會議の内容は祕密にされ、若者たちはウィルソン政權が掲げる「民主主義にとって安全な世界にするための戦争」「すべての戦争を終わらせるための戦争」といふ表向きの大義や、敵であるドイツ人が殺されるのは神の意志だといふ聖職者の言葉を信じ、戰場に送られた。

バトラーは以上のやうに戰爭のペテンを暴いたうへで、このいかがはしい商賣をつぶす手順の一つとして、「軍隊の目的を真に専守防衛とする」(32頁)やう求める。その際注意すべきは、軍上層部の抵抗である。海軍なら「まず、米国がどこかの海軍大国から脅威を受けていると言う……それから提督たちは海軍増強を訴え始める」(同)。しかしその本音は「戦艦なしの提督になんてなりたくない」(36頁)といふにすぎない。背後には「戦争で利得を稼ぐ組織の、きわめて強力な腹黒い代理人たち」が控へてもゐる(同)。最後にバトラーはかう吐き捨てる。「戦争なんてまっぴらご免だ!」(37頁)

この小册子が書かれて長い年月がたつが、いかがはしい商賣はますます横行してゐる。父子二代の大統領を輩出したブッシュ家は、イラク戰爭で潤つた防衞關聯請負業者のカーライル・グループと關係があつたし、副大統領となつたディック・チェイニー率ゐるハリバートン社は、アフガニスタン經由の石油パイプライン建設やイラク戰爭の後方支援で大きな役割を果たした(210-211頁)。しかしブッシュ政權は、かつてのウィルソン政權と同じやうに、テロとの戰ひといふ看板を掲げ、若者を戰場に送り出したのである。

一方、日本では、經濟界がかねて緩和を要望してゐる武器輸出三原則について、安倍政權が事實上の撤廢も視野に見直すと報じられてゐる憲法改正による集團權自衞權の明記とともに、經濟界がこのやうな要望をする背景には、吉田が指摘するやうに、「防衛産業活性化への期待がある」(232-233頁)とみるべきだらう。それがバトラーのいふ專守防衞のためならともかく、他國のいかがはしい商賣のおこぼれにあづかる狙ひなら、願ひ下げである。皮肉なことに、海外での軍事介入に強く反對したバトラーは、沖繩の在日米海兵隊基地司令部キャンプ・バトラーにその名をとどめてゐる。

(「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

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