タックス・ヘイブンは惡か

税金がない、またはほとんどない國や地域であるタックス・ヘイブン(租税避難地)は、日本を含む他國政府から惡のレッテルを貼られ、地球上から抹殺されさうになつてゐる。しかしタックス・ヘイブンは惡ではない。惡いのは重税を課す政府であり、タックス・ヘイブンはその魔手から人々を守る善である。
タックス・ヘイブン――逃げていく税金 (岩波新書)
元財務官僚で辯護士の志賀櫻は『タックス・ヘイブン――逃げていく税金』(岩波新書、2013年)で、タックス・ヘイブンを舞臺に行はれる「惡事」を三つに分類する(6頁)。(1)高額所得者や大企業による脱税・租税囘避(2)マネー・ロンダリング、テロ資金への關與(3)巨額投機マネーによる世界經濟の大規模な破壞――である。しかしこれら「惡事」の責任をタックス・ヘイブンに押しつけるのはお門違ひである。

租税囘避
まづ、租税囘避である。志賀は米最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズの「税は文明の対価である」(224頁)といふ言葉を引き、税を正當化する。だがホームズは間違つてゐる。文明は、暴力や脅迫による強制でなく、互ひの合意にもとづく自由で平和な協力を土臺に築かれる。ところが税は、まさしく政府の暴力や脅迫にもとづき、人々から財産を一方的に奪ふ。だから哲學者ティボール・マキャンが斷ずるとほり、税とは「文明的ではなく、野蠻な手段(barbaric method)」である。

もちろん多くの國で、脱税は法律違反である。しかし政府の法律に違反したからといつて、惡だとは限らない。全體主義國における各種自由の制限はその典型だが、それに限らない。言論や職業の自由が侵されないやう、國外に亡命することが惡でなければ、財産權が侵されないやう、タックス・ヘイブンに資産を移すことも惡ではない。

志賀は、富裕層がタックス・ヘイブンを使つて國外に資産を逃すほど「富裕でない中所得層・低所得層にツケが回されてくる」(55頁)と富裕層を非難するが、これは奴隸制を敷いた國の役人が「體力のある者が國外に逃げるほど、殘つた體力の弱い者にツケが囘されてくる」と逃亡者を非難するのと同じである。「苛政は虎よりも猛し」の言葉どほり、惡いのは重税を課す獰猛な政府であり、そこから逃げ出す個人(およびその資産を預かる企業・金融機關)でもなければ、タックス・ヘイブンでもない。

マネー・ロンダリング
次に、マネー・ロンダリング資金洗滌)である。そもそもマネー・ロンダリングの原因の多くは、政府自身がつくりだす。志賀が記述する(124-125頁)とほり、國際的マネー・ロンダリング對策のおもな對象となつてきたのは、麻藥犯罪、テロ、税犯罪である。このうち税犯罪(脱税)はすでに述べたやうに、そもそも惡として非難するのが誤りである。

麻藥犯罪は、「麻藥との戰ひ」を掲げる米國を筆頭に、麻藥を非合法化したことが原因である。禁酒法の時代に酒がらみの犯罪が横行し、ギャングの隆盛をもたらしたのと同じだ。似た話で、日本の暴力團、五菱會がスイスの銀行に口坐を開設し、ヤミ金融で稼いだ收益約五十億圓を隱匿してゐた事件があつた(131頁)。ヤミ金融の成長は、政府が貸附金利の上限を規制したことが原因である。

テロも、志賀が言ふやうな單なる「貧困問題」(145頁)が理由ではなく、米國政府を中心に中東などでの政治・軍事介入を強め、現地の反感と憎惡を招いたことが本質である。

強盜や詐欺など紛れもない犯罪で不正に得た資金が、タックス・ヘイブンの銀行に預けられることもあるだらう。しかしだからといつて、銀行に顧客情報を言はれるがまま渡すやう強制するのは、プライバシーや財産權保護の面から明らかに行き過ぎである。銀行祕密の重要性は後述する。

經濟危機
三番目に、經濟危機である。これも原因は政府である。志賀は、經濟危機をもたらすのは「暴走する過剰なマネー」と、「ヘッジ・ファンドなどにマネー・ゲームの舞台を提供しているタックス・ヘイブン」だと主張する(148-149頁)。まづ後者は誤つてゐる。どれほどマネー・ゲームをやりたくても、マネーの量が少なければできないし、ましてや經濟を搖るがすほどの「暴走」は起こしえないからだ。志賀は「高度に技術的な金融商品」がマネーを暴走させると考へてゐるやうだが、それは違ふ。複雜な金融派生商品などなかつた時代でも、たとへば十八世紀英國の南海泡沫事件のやうなマネー暴走による危機は生じてゐる。

眞の原因は前者の核心、つまり「過剰なマネー」にある。そして現代において、過剩なマネーを生みだしうる主體は、政府(中央銀行)以外にありえない。志賀自身、1980年代日本のバブルとその崩潰による金融危機は「政策の失敗が引き起こした危機の典型」(162頁)と、日銀の責任に言及してはゐる。しかしすぐに矛先をヘッジ・ファンドタックス・ヘイブンに轉じてしまふ。志賀は「新自由主義の下で規制から解き放たれた人間の強欲」(225頁)を難ずるが、非難すべきは自發的な市場取引で欲求を滿たさうとする人々ではなく、貨幣創造や課税といつた特權を利用して強欲を滿たさうとする一部の人間、すなはち政府關係者である。

銀行祕密
以上のやうに、タックス・ヘイブンは、一部の犯罪者に惡用される場合はあるにせよ、それ以上に兇惡な政府から市民を守る、善き砦である。逆にいへば、タックス・ヘイブンを惡の權化のやうに攻撃するのは、政府の恐ろしさに鈍感な證據である。志賀がそのやうな鈍感をもろにさらけだすのは、タックス・ヘイブンの特徴である銀行祕密保護について述べた箇所だ。「スイスの悪名高い銀行秘密保護法」(72頁)、「オーストリアは……〔銀行祕密保護法の〕軛(くびき)から逃れられない」(74-75頁)といつた言葉の端々にもそれは十分見て取れるが、ひどいのはリヒテンシュタインに關する記述である。

志賀は「ドイツ政府はリヒテンシュタインに圧力をかけて、ドイツの納税者がリヒテンシュタインを利用して租税回避することを防止するよう措置を求めた。当然ながらプライベート・バンキングにある秘密口座に関する情報提供がその中心であったであろう」と述べた後、あざ笑ふやうにかう書く。「リヒテンシュタインの皇太子は、このようなドイツによる圧力に悲鳴を上げて、『大国による小国の弱い者いじめだ』と泣かんばかりの抗議をした。新聞によると本当に泣かんばかりであったらしい」(74頁)

しかし志賀は、抗議の内容を一言も記してゐない。皇太子ハンス・アダム二世の理にかなつた言ひ分を新聞記事から拔粹しよう。政府の暴虐に對する感覺の鋭さは、志賀とは段違ひである。

リヒテンシュタインとスイスは多くの人々、とりわけユダヤ人を救つた。ユダヤ人には、スイスやリヒテンシュタインに安全に預けられたお金を使ふことで、ホロコーストナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)の間、安全を買ふことができた人々がゐる。銀行祕密は、共産主義政府に迫害された人々を助けもしたし、血に飢ゑた獨裁者が牛耳る第三世界諸國の生命を救ひつづけもした。ドイツやその他諸國の財政は信じがたい窮地に陷つてゐる。税逃れの原因は拙い財政運營と重税であり、銀行祕密ではない。

志賀も言及する(131頁)とほり、スイスの銀行がホロコーストで犠牲になつたユダヤ人の口坐に殘留した資金を返還せず、問題になつたことがある。だが申し出た遺族だけに拂ひ戻して後々悶着にならないかといふ懸念があるし、もし惡意で懐に入れた部分があつたとしても、過去の善行がそれで帖消しになるわけではない。タックス・ヘイブンは、重税國家といふ野獸の爪から守つてくれる隱れ家である。たとへ富裕層でなくても、それがなくなれば、私たちの安全は強く脅かされるだらう。

(「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)