ベーシックインカムのユートピア

ベーシックインカムとは、政府がすべての國民に對し最低限の生活に必要な現金を無條件で支給する制度。從來の社會保障制度と異なり、世帶でなく個人に對して支拂はれることや、所得水準にかかはらず支拂はれることなどが特徴だ。金持ちも支給を受けることになるが、所得調査などの手間を省く簡素な設計にすることで、貧困層が確實に支給を受けられるやうにする。ベーシックインカム導入により、生きてゆくのがやつとといふ人はゐなくなり、文化的に暮らすことができるやうになるといふ。

働かざるもの、飢えるべからず。

例へば『働かざるもの、飢えるべからず。』(サンガ、2009年)で小飼弾はかう述べる。

ベーシック・インカムの額として1人月5万円とすれば、それだけで一人暮らしはちょっときびしいでしょう。しかし、4人家族なら月20万円になります。そうなると、ガツガツ働かなくても暮らしていける額ではあります。(42-43頁)

本當に小飼氏の言ふ通りになるとしたら、素晴らしいことだ。だがベーシックインカムユートピアは決して實現しない。その道理を理解するには、お金と豐かさの關係を正しく知る必要がある。

お金は文明の偉大な産物の一つだが、あまりにも便利なので、我々は時折、お金そのものが富だと錯覺してしまふ。だがお金そのものは富ではない。富とは米、靴、本、花束、パソコン、自動車、家……といつたモノだ。お金は交換によつてこれらのモノを手に入れる手段にすぎない。モノが存在してこそ、お金は價値を持つ。

ところがベーシックインカムを支持する人々は、小飼氏もさうだが、お金が手段にすぎず、肝心なのはモノであるといふこの事實をすつかり忘れてゐる。經濟の仕組みをどんなにいぢくり囘さうと、モノだけはあたかも天から降り注ぐ賜物のごとく、現在と同じ豐かさで地上にあふれ、それを現在と同じ價格で買へると信じてゐるのだ。

だが現實の世界でモノは天から降つて來ない。誰かが作り出さねばならない。皆が「ガツガツ働かなくても暮らしていける」やうになり、勞働によつて作り出されるモノの量が少なくなれば、物質的な豐かさは減少し、物價は上がる。一家4人、合計20萬圓のベーシックインカムで「ガツガツ働かなくても暮らしていける」はずだつたのに、いつの間にか月の生活費が例へば40萬圓もかかり、馬車馬のやうに働いても暮らしが樂にならないことに氣づく。

ベーシックインカムの福音を説く人々はかう反論するだらう。「最低限の收入が保證されても、人は働かなくなるわけではない」。さうかもしれない。だが問題は、全然働かない人が何人増えるかではない。皆が少しづつ仕事の量を減らしたり質を落としたりすることだ。それだけでモノを生み出す社會の力は格段に弱まる。

一方でベーシックインカムの財源は、金持ちから税金(またはインフレによる見えない税金)として徴收せよといふ案が多い。例えば芹沢一也荻上チキ編『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社、2009年)で、經濟學者の飯田泰之はかう述べる。

有閑階級というのは、はっきりいって何もしてないんです。何となく金をもっている。日本の場合は階級でなく引退世代ですが、彼らをそこまで優遇する必要はない。例えば、年3%のインフレにすると、実質、彼らに3%ずつ税金を課すことになるわけです。せめて、そのくらいの負担をしてくれまいかと。(131-132頁)

金持ちはろくに金を使はず無駄に貯め込んでゐる不逞の輩で、その無駄金を取り上げるのは別に惡いことではない、いやむしろ道徳的に正しいことらしい。ああ金持ちに生まれなくてよかつた。だが金持ちをどんなに搾取してもその他大勢の暮らしに何の支障もないと考へるのは、淺はかな思ひ違ひだ。

金持ちに限らず、人は不要不急のお金をたいてい何らかの方法で運用する。銀行に預けるか、債劵を買ふか、株に投資するか、やり方は樣々だが、いづれにせよ運用に囘したお金はそれを今すぐ必要とする人や企業に渡る。例へば銀行が預かつたお金は企業向けの貸出などに囘り、社債や株式に向かつたお金は發行元の企業が受け取る。そのお金を元手に、企業は技術を開發し、最新の生産設備を導入し、人材を雇い、モノ作りの能力を高める。つまり不要不急のお金を持つ者がゐなければ、企業は生産能力を高めることができず、社會に供給されるモノの量は十分に増えない。

要するに、金利や配當だけで食つてゐる有閑階級や、老後に備へ小金を貯め込む中産階級は、ベーシックインカムの信者にはどんなに我慢ならない俗物に見えようと、經濟の發展になくてはならない資本を提供する存在なのだ。彼ら(あるいは我々自身)を資本家と呼ぶ。資本家なくして資本主義は成立しないし、資本主義なくして貧困層に分配する富は生まれない。

ベーシックインカムの支給方法も、その財源確保も、モノ作りの能力を弱め、社會から豐かさを奪ふ。すなはちベーシックインカムは、他のあらゆる社會保障政策と同樣、その理想と裏腹に貧困層の暮らしをますます苦しくする。西洋の諺が教へる通り、地獄への道は善意で敷き詰められてゐるのだ。

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