バズの墜落

三歳の娘にせがまれて、ディズニーのアニメ『トイ・ストーリー』をヴィデオ(日本語吹替版)でかれこれ四五囘觀る羽目になつた。世界初の全篇3D・CGアニメと云ふ事で、最初は畫像に對する興味だけで觀てゐた。たしかに映像は見事である。だが、ドラマの内容も同じくらゐ優れてゐた。最近、友人が續篇の『トイストーリー2』を送つて呉れたのでこれも一囘觀た。一般には續篇の方がアクションに富み、映像も高度だと云ふ事で評價が高いやうだが、私はドラマとしては斷然、正篇に軍配を上げる。

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正篇のあらましはかうである。玩具が大好きな男の子、アンディの大のお氣に入りは、カウボーイ人形で、玩具たちのリーダー格でもある「ウッディ」である。ところがアンディの誕生日の贈物として、最新式の宇宙飛行士人形「バズ・ライトイヤー」がやつて來る。ウッディとバズは玩具の主役の座を巡つて張り合つた擧句、ふとした彈みで家の外に出て仕舞ひ、玩具を虐待して樂しむ「惡餓鬼」のシドに連れて行かれてピンチに陥る。しかし最後は協力して脱出し、アンディの許に無事歸る……。

物語前半においては、ウッディとバズとの對立が緊張感をもたらし、大きな見所をなす。アンディがバズにすつかり夢中になつて仕舞ひ、ベッドや壁に飾つたウッディの繪がどんどんバズの繪に取替へられてゆく描寫は、子供乃至人間の殘酷を見せ付けて止まない。嫉妬に狂つたウッディが終にバズを目の前から消さうと思ひ立ち、ラジコン・カーを操作して窓から突落とさうとする件りも、人形に假託して人間の嫉妬の切なさと恐ろしさとを浮き彫りにして、見事である。續篇では、ウッディとバズは最初から親友同士として登場する爲、物語は以上のやうな緊張を缺いてゐる。

だが何と云つても、全篇の白眉は、「バズの墜落」の場面である。バズは自分を本物のスペース・レンジャー(惡と戰ふ宇宙戰士)だと思ひ込んでゐる。自分は空を飛べると信じ、實際、ウッディら他の玩具の前で飛んで見せる。尤も、この時は天井から下がつた飛行機模型に偶然引掛つて、恰も飛んだやうに見えただけなのだが…。ところが、偶々目にしたテレビCMにより、自分が玩具だと知る。驚愕するバズ。彼は「そんな筈は無い」と自分に言ひ聞かせるかのやうに、階段の上から窓に向かつてもう一度飛び立たうと試みる。跳躍。だが無情にも、窓の外に廣がる晴れ渡つた空は、視界から見る見る上方へと遠ざかる。バズは墜落し、床に叩き附けられる。傍らには衝撃でもげた左腕。絶望し、倒れたまま虚空を見つめるバズ。……

ギリシア神話に登場するイカロスは、翼を固めた蝋が太陽の熱で溶け、墜死した。だがイカロスの絶望は、バズほどに深くはなかつたと思ふ。イカロスは自分が飛べない人間である事を知つてゐたが、バズは己が飛べると信じてゐたからだ。バズの墜落は、己の才能の限界を知つた藝術家の悲劇とも解釋出來よう。そのやうな悲劇を描いた小説として、私は、ゴーゴリの「肖像畫」や、中島敦の「山月記」を思ひ出した。メルヴィルユージン・オニールを引張り出して、アメリカの悲劇的精神についても一席ぶちたいところだが、能力の限界を超えるのでやめておく。

正續篇とも、玩具たちが人間のやうに話し、行動する譯だが、その所作や表情はアニメだから當然誇張があるものの、稚拙なところは無く、實に見事である。日本語吹替の聲優陣の演技も好い。「ポテト・ヘッド」の名古屋章、「レックス」の三ツ矢雄二、「ハム」の大塚周夫チャールズ・ブロンソンの吹替が懷かしい。「ハム」は貯金箱の豚なのだが…)と云つた實力派の脇役は勿論の事、二人の主役、すなはちウッディ役の唐澤壽明、バズ役の所ジョージが好演である。就中、只の「トレンディ俳優」だと思つてゐた唐澤壽明が、聲だけでも十分勝負出來る演技力を備へてゐたのは意外であつた。(2000年12月3日)

(初出「地獄の箴言」)

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