『アメリカの大恐慌』を讀む(4)好不況はなぜ起こる

好不況はなぜ起こる (The Explanation: Boom and Depression)

現代人は好況(boom)と不況(depression)の繰り返しに慣れてしまつてをり、存在するのが當然と思つてゐる。日本人ならたいてい學校の授業で「岩戸景氣」や「いざなぎ景氣」について教はつたことがあるだらう。一定以上の年齢の人なら、1980年代のバブル景氣とその後の嚴しい不況を身をもつて經驗してきたはずだ。だが大半の人は、景氣とは潮の滿ち引きや月の滿ち缺けといつた自然現象のやうなものだと思つてゐる。

America's Great Depression

America's Great Depression

しかしミーゼスやハイエク、ロスバードらオーストリア學派によると、政府(中央銀行を含む)とその規制下にある銀行による貨幣量の膨脹こそが好況と不況を生み出す。逆に言へば、もし政府が金融市場に一切介入しなければ、好況・不況といふものはなくなる。もちろんすでに述べたやうに、個別の企業ごと業界ごとの浮き沈みはなくならない。だがそれとは別に私たちが經驗し、當然と思ひ込んできた現象、つまり世の中全體が好況に沸いたかと思ふと一轉して企業の赤字や倒産が相次ぐやうな現象は、消え去ると言ふのだ。この主張には多くの人が驚くに違ひない。

なぜ好不況の原因が政府だと言へるのか。ここからロスバードの記述に沿つてオーストリア學派の景氣循環理論を説明するが、その前に、キーワードとなる「貨幣」(おカネ)の意味について一言解説が必要だらう。

おカネと言ふと一萬圓札のやうな紙幣、つまり現金をまづ思ひ浮かべると思ふが、經濟學では銀行による貸出もおカネに含める。銀行が企業などにおカネを貸出す場合、現金で渡すことはほとんどない。コンピューターを操作して、貸出す分、口坐の殘高を増やしてやるだけだ。なんだか一瞬で無から有を作り出す魔法のやうだが、かうして生み出された貸出は、規模から言へば現金をはるかに上囘るし、經濟に及ぼす影響も大きい。貸出は「信用」(credit)とも呼ばれる。

ただし銀行がどれだけ多く貸出せるかは、中央銀行(日本なら日銀)によつて規制されてゐる。たとへば銀行は預金の拂出しに備へ一定割合の現金を準備しておかなければならないが、中央銀行はこの割合(法定準備率)を上げ下げすることで、銀行の貸出餘力を増やしたり減らしたりできる。政府は自分で直接發行する現金だけでなく、銀行の貸出を含むおカネの供給量について操作する權限を持つてゐるわけだ。

さて本論に入らう。今、世の中に一定額のおカネがあるとしよう。このうちある部分は消費に使はれる。殘りは貯蓄され、そこから工場の増設や機械の更新など生産活動に必要な投資に向かふ。消費と貯蓄(投資)の割合を決めるのは、人々の時間選好(time preference)だ。聞き慣れない言葉かもしれないが、平たく言へば「おカネを今使ひたい」と思ふ氣持ちのことだ。「とにかく今使つちまへ」と思ふキリギリス型の人は時間選好が強く、逆に「今は我慢して將來使はう」と考へるアリ型の人は時間選好が弱い。度合ひは人によつて樣々だし、同じ人でも状況によつて變化する。

消費と貯蓄(投資)の割合は人々の時間選好によつて決まると言つたが、もう一つ決まるものがある。金利だ。時間選好の強い人は今すぐおカネを使ひたいから、もし銀行におカネを預けるのなら、預金金利が高くなければ預けないだらう。逆に時間選好の弱い人は預金金利が低くても預けるだらう。かうして社會全體の時間選好が定まると、それに應じて金利の水準が決まる。社會全體の時間選好が強ければ金利は高くなり、時間選好が弱ければ金利は低くなる。

最終的な金利水準は貸した相手が倒産するリスクや物價上昇・下落の見通しも反映するが、根幹となる部分は時間選好で決まる。この根幹的な金利水準を「自然利子率」(natural rate of interest)または「純粹利子率」(pure rate of interest)と呼ぶ。

ではここで政府が介入し、貨幣の量を増やすと、何が起こるだらう。市場に出囘るおカネの量が増えると、金利は低くなる。これは人々の時間選好が變化したからではなく、單におカネの供給量が増えたことによる。しかし見た目は同じだ。まるで以前に比べ社會全體の時間選好が弱くなり、つまり多くの人がキリギリスからアリになり、消費を愼み貯蓄に勵み始めたかのやうに見える。

この幻に惑はされて痛い目に遭ふのが企業家だ。金利が低くなつたのをチャンスと見て、企業家は資金を借り入れて投資に踏み切る。工場を建てる建設會社や機械メーカー、原料を納入する素材メーカーに多くの受注が舞ひ込む。これらの業界では雇傭も増える。好景氣の始まりだ。

ところが實際には、人々の時間選好は變化してゐない。キリギリスのままなのだ。羽振りが良くなつた業界の經營者や從業員、その家族らから順番に、人々は貯蓄に勵むどころか、先を爭つて消費に走る。おカネを貯めずに使つてしまふので、企業が借金をして生産設備を増強し、作り出した新商品は思つたほど賣れない。投資ブームのおかげでうれしい悲鳴を上げてゐた建設會社や機械・素材メーカーも、やがて注文が來なくなり、經營が一齊に苦しくなる。倒産するところも出てくる。不況に突入したのだ。

以上がオーストリア學派による景氣循環の説明だ。ロスバードによる要約を引いておかう。

企業家は銀行融資の膨脹に惑はされ、資本財に過大な投資をしてしまふが、これは時間選好が弱く、貯蓄と投資が潤澤でなければ、長い目で採算に乘らない。水増しされた貨幣が大衆に行き渡るにつれ、消費・投資は本來のバランスを取り戻し、資本財への投資は浪費だつたことが明らかになる。企業家がかうした過ちに陷つたのは、銀行信用の擴大により、自由な市場で決まる利子率を勝手にいぢつたためである。

中央銀行が金融緩和政策によつて貨幣の量を増やせば、一時的に好況が訪れることはある。しかしオーストリア學派の見解に從へば、それは本質的な繁榮でなく、資源の浪費にすぎない。消費者の時間選好が變はらない限り、歪められた利子率を頼りにした投資は市場の需要と食ひ違ひ、失敗するからだ。不況とは天罰でも災害でもない。誤つた用途に使はれた資源・人材を市場の需要に沿つて配分し直し、經濟を正常に戻す不可缺の過程なのだ。

したがつて人爲的に不況を避けようとしたり、不況を短く終はらせようとしたりするのは、經濟が恢復に向かふのを妨げる愚かな行爲でしかない。とりわけ金融緩和政策でそれをやろうとするのは、麻藥中毒患者に麻藥を注射してするやうなもので、後々のツケを大きくするだけだ。

だが實際には、政治家は有權者の支持を得ようと、景氣の雲行きが少しでも怪しくなると金融緩和を中心に樣々な「對策」をこれでもかとばかりに打ち出す。だがロスバードが指摘するやうに「好況が長ければ長いほど、企業家の過失による浪費は大きくなり、必要な調整は嚴しくなる」。好況の水面下で經濟の歪みが大きくなり、やがて經濟危機や不況といふ形で表面化する。

メルトダウン 金融溶解

メルトダウン 金融溶解

景気循環の仕組みについて、現在活躍中のオーストリア學派の歴史家、トマス・ウッズは家を建てることに喩へて説明してゐる。わかりやすいので引用しておかう。

自分が実際に持っているよりも二〇%少なくしか煉瓦を持っていなかった大工を思い浮かべてみよう。彼は、実際の煉瓦の数が分かっていれば作ったであろう家とは、異なる形の家を建てようとする。ここでは煉瓦は買い足せないものとする。家の大きさは異なるだろうし、形も異なるだろう。彼が自分の間違いに気づかないまま建設を進めればすすめるほど、見積もりとは大きく異なってしまう。建設の最終段階で間違いに気づいたら、彼は完成間近の家を壊してしまわねばならない。それまでに投入された資源と労働は無駄になり、社会もそれだけ貧しくなってしまう。(『メルトダウン 金融溶解』古村治彦譯、成甲書房、2009年)

不況は恢復への過程だが、そこで必要な調整とは具體的に何だらうか。事業計劃は中止するか、少しでも無駄を省く。好景氣に乘つて創業したものの赤字續きの不採算會社は清算するか規模を縮小する。工場用の土地や機械は値下がりし、物を生産する企業そのものの値段、つまり株價も下がるだらう。縮小する業界で働く人は賃金が下がるし、轉職する人も少なくとも一時的な失業は避けられまい。いづれも決して樂しいことではない。

とりわけ賃下げや失業は人に直接關はることだけに、世論の後押しを受け、政府による「對策」も手厚くなりやすい。最低賃金の引き上げや解雇規制の強化、失業保險の増額などだ。しかしこれまで述べてきたことからわかるやうに、かうした措置はむしろ正常な經濟状態への復歸を遲らせることになる。本當に必要とされてゐる分野に勞働力が移動しなければ、社會全體の效率は高まらず、人々が豐かになることはできない。

また、たとへば最低賃金を市場實勢以上に引き上げると企業が人を雇ふことに愼重になり、結果として失業を増やしてしまふ。後で詳しく述べるが、大恐慌時に大量の失業が發生したのも、賃金を人爲的につり上げたことが原因だつたのだ。

<こちらもどうぞ>