巨大地震と經濟 五つの謬論(4)便乘値上げを許すな

地震發生後、ある會社社長の「行状」が話題になつた。人々が生活必需品を爭ふやうに買ひ求めるのに目をつけ、値上げで儲けた話をウェブで紹介し、高くても賣れる時は値上げするべきだなどと書いたところ、轟々たる非難を浴びたのだ。

だが不足してゐる物資やサービスの賣値を釣り上げ、ひと儲けをもくろむ行爲に、道徳的にやましい點はなにもない。むしろさうした「惡徳商人」こそ、被災者を救ふ英雄だとすら言へる。高い賣値で大きな利潤を稼いでゐることを他の業者が知れば、自分たちも同じ物資・サービスをそこで賣つて儲けようと追隨するから、供給が増え、不足が解消される。同時に、高かつた賣値も次第に安くなる。

このプロセスは、最初の「惡徳商人」が、足りない物資・サービスを高い値段で賣つて儲けるチャンスを發見したからこそ、可能になることだ。だから利潤のチャンスを目ざとく見いだす「惡徳商人」は英雄なのだ。どんなにその人物が強欲で、低俗で、惡趣味で、いけすかない人間であつたとしても。

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

アダム・スミスが二百年以上前に喝破した通り「われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するから」(山岡洋一譯『国富論』、日本経済新聞出版社、上卷17頁)なのだ。現代のリバタリアン經濟學者、ウォルター・ブロックは同じ眞理をもつと碎けた言ひ囘しでかう述べてゐる。

成功した商人は自分だけがいい思いをしたいと考え、「みんなの幸福」などどうだってよく、しかもそのことによってみんなを幸福にするのである。(橘玲譯『不道徳な経済学』、講談社+α文庫、218頁)

不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社+α文庫)

スミスやブロックのやうに、世間の反感を買ふやうな眞理をずばりと言ひ切るには、智識だけでなく、勇氣がゐる。その點、上記の會社社長への非難が卷き起こる中で、それに眞つ向から異を唱へ、擁護した「金融日記」の藤沢数希氏の見識と勇氣は特筆に價ひする。私は藤沢氏の議論のすべてに賛同するわけではないが、この件についての同氏の態度には賞賛を惜しまない。

原發事故を背景とした電力不足も、電力料金の引き上げが解消の一助となる。池田信夫氏が提案するやうな税の上乘せと違ひ、これなら電力會社に實施のメリットがあるし、利用者も輪番停電のやうな畫一的措置による不便を味ははずに濟む。同じ東京電力の管内で地域別・利用者別に料金を差別化してもよい。不要不急の電力消費には齒止めがかかるだらう。

しかしこれだけでは駄目だ。値上げを電力の本格的な供給増につなげるには、大手電力會社による地域獨占を大幅緩和・廢止し、參入を自由にする必要がある。問題は大手電力會社とその既得權益を擁護する政府の抵抗だ。手ごはい障碍ではあるが、既存電力會社の發電能力が限界に達し、その増強にも時間がかかるとすれば、供給を速やかに増やすには參入自由化しかないのだから、電力不足が深刻になるにつれ、政府も踏み切らざるを得なくなるはずだ。市場の力は自然の力同樣、強い。それを後押しする政治運動や言論活動があれば、もつとよい。

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