『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』

荒木飛呂彦荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』集英社新書、2011年)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

人氣マンガ家である著者の本だから、お氣に入りの作品をただ羅列し、紹介する駄本であつても、賣れたことだらう。しかし本書はそのやうないい加減な本ではない。借り物でない、自前の見識・哲學に貫かれてゐる。

映畫にはさまざまなジャンルがあるが、今や劇場からほとんど姿を消したポルノは別として、ホラー映畫、つまり恐怖映畫ほど世間で低くみられてゐるものもないだらう。小中學校の映畫鑑賞會で『ゾンビ』や『悪魔のいけにえ』を觀に行くことなど考へられないし、政府が「クールジャパン」の柱としてホラー映畫の制作振興を打ち出すこともありえない。それどころか殘酷な描冩や精神疾患者などへの差別助長を理由に、上映・販賣を規制されてしまふことさへあるだらう。

なにしろ著者荒木氏が書いてゐるやうに、ホラー映畫とはひたすら人を怖がらせるために作られる映畫であり、「人間の在り方を問うための良心作だったり、深い感動へ誘うための感涙作だったりというのは、結果としてそれがどんなに怖い映画であっても(略)ホラー映画とは言えません」(p.14)。世間のお墨つきを得るための「良心」「感動」といつた要素は、あるとしてもあくまでおまけであり、けつして主たるテーマになつてはいけないのだ。

それではホラー映畫はたんなるゲテモノで、觀るに値しないものなのか。さうではないと荒木氏は言ふ。人間はかはいいもの、美しいもの、幸せで輝いてゐるものを好む。しかしこの世の中には醜いものや汚いものがあり、人間の中にも殘酷なことをする者がゐる。さらに自分も人を妬んだり虐げたりすることがあり、反對に人からさうされることもある。とりわけ子供には想像もできないほど過酷な部分が現實の世の中にはあり、彼らはそれを體驗しつつ、傷つきながら成長してゆく。さうした人生の醜い面、世界の汚い面に向き合ふための「予行演習」として、子供にとつても、大人にとつても、「これ以上の素材があるかと言えば絶対にありません」(p.17)。(だから學校の映畫鑑賞會ではむしろホラー映畫に行くべきなのだ!)

ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)

荒木氏は「あとがき」でかう強調してゐる。

芸術作品は「美しさ」や「正しさ」だけを表現するのでなく、人間の「醜さ」だとか「ゲスさ」とか、そういった暗黒面も描き切れていないと、すぐれた作品とは絶対に言えません。

荒木氏の代表作である長篇マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』の讀者なら、誰もがうなづくことだらう。現實の暗黒面をエンタテインメントに包んで教へてくれるホラー映畫。それが政府のお墨つきなどと無縁の場所で生み出され、愛好されつづけてゐることを、著者とともにことほぎたい。

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