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『大災害から復活する日本』

副島隆彦『大災害から復活する日本』徳間書店、2011年)

大災害から復活する日本

副島氏の本は何册も讀んでゐるので、たいていのことには驚かない。福島第一原發事故について「もうどの原子炉も爆発することはない。安心してください」(p.14)などと斷言してゐるのはさすがにどうかと思ふが、今は是非を論じる餘裕がない。ここでは金融・經濟の原理に關する副島氏の初歩的な勘違ひをいくつか指摘し、最後に同氏の一番「殘念」な點を述べることにする。

副島氏は今年5月の銀相場急落について「ジョージ・ソロスのようなワルたちが先物で売り浴びせたから急落したのだ」(p.94)と書く。しかしいかなる理由であれ、先物を賣らうが買はうがそれは投資家の自由であり、賣つた者を「ワル」呼ばはりするのはをかしい。百歩讓つて、かりに賣ることが「惡」だと假定しても、先物取引は通常賣つた後に買ひ戻すものであり、賣りの部分だけを見て責めるのはやつぱりをかしい。また別のところで、賣り買ひ兩建て取引を「暴落しても儲かる、上がっても儲かる。そういう恐ろしい手口」(p.83)などと大仰に書いてゐるが、賣り買ひのどちらか一方で損をしても他方で儲けるといふ、ありふれた相場の張り方であり、なにも恐ろしくなどない。

金融市場についてもう一つ。

外国からの投資家と博奕打ちが儲かるしくみを、中国の経済体制は許さないという考えが基本にある。株と土地の値段の両方で上手にコントロール(統制)している。(p.178)

シナの株價や地價の昂騰は、シナ政府のこれまでの金融緩和政策にも責任がある。「中国政府は賢い」(p.179)などと持ち上げるのはをかしい。株や土地を外國人に賣つてゐるのはシナ人なのだから、買ふ側の外國投資家だけを惡者扱ひするのは、これまたをかしい。それから投資家を「博奕打ち」と呼んで蔑むのなら、副島氏は自分の本の卷末に「株の復興銘柄45本」などといふ附録をつけるのをやめるべきだ。

それから會計制度について、こんなことを書く。

「あそこに10億円貸しているんだ」と言って、その資産10億円は手元にない。いつ返ってくるか分からない。負債で銀行から借りた10億円は手元にある。分かりますか? だから本当は資産が負債で、負債は資産なのだ。(p.202)

手元にあつても、借りたカネは他人のカネなのだから、それを「本当は資産だ」などと言ふのはをかしい。手元になくても、貸したカネは自分のカネなのだから、「本当は負債だ」などと言ふのはをかしい。副島氏は「これが会計学という学問のおもしろいところである」などと勝手に感心してゐるが、決算書にもいろいろあつて、誰のカネかに關係なく現金の出入りを見るのであれば、バランスシートでなく、別に「キャッシュフロー計算書」といふものがあることを知らないやうだ。

しかし一番がつくり來たのはこれだ。

私は、やはりケインズだけが経済学者としては偉大だと思う。(p.64)

副島氏が監譯した『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ』の著者であり、米國で唯一のリバタリアン大統領候補であるロン・ポール下院議員が、大きな政府を志向するケインズ經濟學を徹底的に批判してゐることを、副島氏は知らないのだらうか。副島氏は日本に米國リバタリアニズムをいち早く紹介した人であり、良いことも書くのだが、結局のところ自由主義の理念について首尾一貫した理解をしてゐない。これが一番殘念だ。

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