呉智英さんに會ふ

昨日(11月19日)、呉智英先生にお會ひした。大學生だつた二十七年前、文化祭で講演を聽いて以來、お目にかかるのは初めてである。親しくお話しすることもでき、すばらしいひとときを過ごすことができた。

今囘は、呉先生を講師とする名古屋の名言塾、東京の以費塾(現在は閉講)それぞれの受講生・元受講生が先生と一緒に東京都心部を散策するといふ催しがあり、その親睦會にお邪魔した。私が昔から呉さんの讀者であることは以前ブログで書いたことがあるが、それを讀んだ受講生の方が散策ツアーへの參加を呼びかけてくださつたのだ。都合で散策には參加できなかつたが、夕方六時から高田馬場の居酒屋で開かれた親睦會では、呉先生の近くに坐らせてもらひ、およそ三時間、くつろいだ雰圍氣のなかで先生や受講生の方々と話をすることができた。
つぎはぎ仏教入門
呉さんに挨拶すると、以前ファンレターを出したことなどをすぐ思ひ出してくださつた。その後、同じテーブルに坐つた受講者の方々を交へた雜談で、最近上梓された『つぎはぎ仏教入門』の話になつたので、質問してみた。あの本で先生は、淨土宗・淨土眞宗や日蓮宗、禪宗など日本の大半の佛教が屬する大乘佛教を(ほとんど)佛教ではないと斷じてゐるが、結論部分では大乘佛教を否定してはゐないやうに讀める。そこはどう考へればよいのでせうか。呉さんはかう答へてくださつた。佛教でない部分といふのは、習俗だ。習俗を否定することはできない。むしろ、かつて盛んだつた念佛講がほとんど見られなくなるなど、日本の佛教が習俗としてもまともに機能しなくなつてゐることに問題がある。

この囘答は納得できるものだが、リバタリアニズムの視點からつけ加へれば、佛教の側が内在的要因から衰へた面と同時に、かつて宗教が擔つてゐた相互扶助などの役割を、政府が福祉政策の擴大によつて強制的に奪つた側面を見逃すべきではないだらう。
封建主義者かく語りき (双葉文庫)
立つて挨拶するチャンスがあつたので、呉さんについての文章をブログで公開してゐることを述べた後、現在リバタリアンの立場から物を書いてゐると話した。じつは呉さんはすでに二十年前、『封建主義者かく語りき』の改題増補版(1991年)あとがきで、歐米でアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義。リバタリアニズムの最もラディカルな一派)といふ概念が提起されてゐることに言及してゐる。私はこのことに觸れ、呉さんとリバタリアニズムの主張には重なり合ふ面が多いと指摘した。緊張のあまりど忘れして話せなかつた部分もあるので、ここでいくつか例を書いておかう。

(1)民主主義。呉さんは以前から一貫して民主主義を批判してゐるが、歐米のリバタリアンも民主主義を明確に批判してゐる。政府とはその形態にかかはらず個人の自由・財産を強制的に奪ふ組織であり、なかでも民主主義は多數派による少數派の抑壓にほかならないからだ。現代における代表的な無政府資本主義智識人の一人であるドイツ生まれの經濟學者兼哲學者、ハンス-ヘルマン・ホッペには『民主主義・破綻した神』(Democracy: The God That Failed)といふ著作がある。
Democracy™the God That Failed: The Economics and Politics of Monarchy, Democracy, and Natural Order
(2)差別論。呉さんはこれも昔から「差別は正しい」と言明し、「差別もある明るい社會」を提唱してゐるが、リバタリアンも、相手の自由・財産を侵害しない限り、差別を肯定する。理由が何であれ、自分の氣に入つた相手と協力し、氣に入らない相手と協力しないのは、個人の自由だからだ。もしある經營者が黒人や女性を雇ひたくないのなら、それは認められるべきであり、政府が干渉すべきではない。その代はりその經營者は、優秀な、あるいは賃金の安い黒人や女性を雇つた競爭相手に敗れるリスクが大きくなる。『不道徳な経済学』(講談社プラスアルファ文庫)が邦譯されてゐる米國のウォルター・ブロックは、その名もずばり、『差別肯定論』(The Case for Discrimination)といふ本を書いてゐる。

(3)戰爭論。呉さんは『封建主義者かく語りき』第三章で、孟子の反侵掠主義・反覇權主義を紹介し、高く評價してゐる。この孟子の思想や、老子による平和主義も、リバタリアニズムと軌を一にする。歐米のリバタリアンと呼ばれる智識人の中には、米國イラク・アフガン戰爭を肯定する論者もあるが、少なくとも私の目から見て首尾一貫したリバタリアンは、たとへば米大統領選に立候補してゐるロン・ポールのやうに、これらの戰爭に強く反對してゐる。自分に直接危害を加へてゐるわけでもない一般市民の生命を武力で奪つたり、その費用を調達するために自國民の財産を税で收奪したりすることは、リバタリアニズムの道徳的原則に反するし、國防の本來の目的にも反するからだ。なほ孟子老子の思想は歐米の一部のリバタリアンの間でも注目されてゐる。

さて、せつかくの機會だつたので、現在おすすめのマンガを呉さんにうかがつたところ、いがらしみきお『I(アイ)』と、以前から賞賛してゐる眞鍋昌平『闇金ウシジマくん』を舉げられた。現代日本の實像を知るうへで最適のマンガとして外國人に奬めてゐるといふ『ウシジマくん』は單行本の最新刊まですべて讀んだが、『I』はまだなのでぜひ讀んでみよう。
I【アイ】 第1集 (IKKI COMIX)
呉さんは佛教論の次に、道徳論の本を書きたいとのことだつた。樂しみである。親睦會には三十人近い受講生・元受講生の方が集まつたが、女性が割合多いのにちよつと驚いた。呉さんはまつたく偉ぶることなく、昔と變はらぬよく通る聲で皆と氣さくに話し、和氣藹々とした雰圍氣。以前大阪や東京でよくやつた、松原正先生の講演後の懇親會とよく似てゐるなと思つた。このブログを讀んでくださつてゐるといふ方が何人もいらつしやつて、嬉しかつた。お招きいただき、どうもありがたうございました。また呼んでください。

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