經濟學に數學はいらない

「文系人間」の私は大學受驗を最後に、數學とほとんど縁のない生活を送つてゐるが、數學とは不思議で美しいものだといふ氣持ちはある。たとへばオイラーの等式だ。一見何の關係もなささうにみえる圓周率、對數、虚數がじつは相互につながつてをり、その關係をシンプルな式(eiπ + 1= 0)で表すことができるとは、じつに不思議ではないか。しかもこのきはめて抽象的な關係式が、電氣囘路など現實の技術に應用されてゐるといふのだから、さらに驚きだ。物理學に出てくる數式も、アインシュタインが發表した特殊相對性理論の關係式(E=mc2)をはじめ、數と自然の神祕を感じさせてくれる(どちらの式もここでは指數を大きな字でしか書けないので、正しい姿はリンク先で確認してください)。

さて、現代の新古典派經濟學にもさまざまな數式が出てくる。だが私は經濟學の數式を見て、オイラーアインシュタインの式と同樣の感動や畏敬の念を感じたことが一度もない。なぜなら論理的に杜撰だからだ。數學の本質は論理であり、論理をとことん嚴格に突き詰めて初めて、その美や驚異は姿をあらはす。だが經濟學における數學の利用は、「文系人間」の私が見てもわかるくらゐ、あまりにもいい加減なのだ。
数学を知らずに経済を語るな!
最近出版された高橋洋一『数学を知らずに経済を語るな!』(PHP研究所、2012年)を例に説明しよう。高橋氏はよく知られるとほり、東大理學部數學科出身で、數學の智識では私など足元にも及ばない。その智識には大いに敬意を拂ひたいが、それを經濟學に「應用」する段になると、とたんに首を傾げたくなる。この本は一般向けの本で、タイトルから想像するのと違つて數式はあまり出てこず、むしろ讀みやすい。それだけに、數學に關係する部分の粗がよくわかるのだ。

まづ、「証明」といふ重大な言葉の使ひ方がテキトーだ。名目GDP成長率とプライマリーバランス(基礎的財政收支)の對GDP比の推移をそれぞれ折れ線グラフで描くと、だいたい重なり合ふ。高橋氏はこのグラフを示しただけで「名目GDP成長率を上げたら、プライマリーバランスも上がって財政が健全になるということ。それだけの話。以上、証明終わり」(48頁)といふ。だが二本のグラフが似た形をしてゐるからといつて、「証明」にはならない。二つのデータの同じやうな動きは一定の「相關關係」を示すだけであつて、論理的な「因果關係」を意味するものではないからだ。

だから高橋氏の解釋とは逆に、財政を健全にした結果、民間經濟が活溌になつて成長率が上がつたのかもしれない。もしさうなら、日銀の「インフレターゲット」によつてまづ名目成長率を上げ、それによつて財政を健全化するといふ高橋氏の持論が正しいとはいへなくなる(高橋氏の持論についての意見は以前書いたので、ここでは省略する)。

次に、一見精緻な計算方法と裏腹に、前提とするデータがひどく大雜把だ。たとへば消費が増えると所得が増え、それがさらなる消費擴大と所得増大につながるといふ「乘數效果」は、無限等比級數の式で計算され、消費性向(收入のうち消費に囘す割合)が0.7の場合、乘數は3.333......となるさうだ。ところがこの細かな數値を求めた後で、高橋氏は「〔實際の乘數は〕たぶん、3とか2」(158頁)といきなりアバウトな數字を持ちだす。「たぶん」といはれても困るが、2だと3.333より4割も小さい。

これは「消費増大→所得増大→消費増大」といふ繰り返しが無限に續くことは現實にはないといふのが理由ださうだが、それにしてもこれほど「理論値」との落差が大きいと、最初の計算はいつたい何だつたのかと思ひたくなる。しかも0.7といふ消費性向もあやしい。最後のはうの頁で紹介されるノーベル經濟學賞受賞者のサージェントが指摘するやうに、消費性向のやうな係數は心理的な要因で變化し、一定でないからだ。もしさうなら、無限等比級數まで持ちだして細かな「乘數」を彈いてみせることにどれほど意味があるのだらうか。始末に惡いことに、さうしたいい加減な計算でも、政府が無駄な公共工事をやる口實になるのだ。

「英語圈では昔、經濟學の本は英語で書かれてゐた」といふジョーク(いまは數式ばかりといふ意味)があるが、現代の經濟學が數學を多用するやうになつたのは、自然科學、とりわけ二十世紀以降赫々たる實績を誇る物理學の手法を摸倣したからだ。そして經濟學は「社會科學の女王」であると胸を張つた。だが成果はどうだつたらう。

2008年の金融危機を豫測した數少ない一人として有名になつた金融實務家のピーター・シフは辛辣にかう書く。「もしNASAの技術者たちの予測能力が当代一流の経済専門家並みだったとしたら、土星探索機のカッシーニは、おそらく土星の軌道に乗れなかったばかりか、離昇時にまっさかさまに反転し、マグマの中まで突き進んでから大破したに違いない」(酒井泰介譯『なぜ政府は信頼できないのか』1頁)
なぜ政府は信頼できないのか
物理學の對象である自然と違ひ、經濟學の對象である人間は、自分の意志にもとづき行動するから、同じ刺戟に對して常に同じやうに反應することはない。だから經濟を數學の言葉で表現することはむづかしいし、不適切でもある。經濟學の眞理は普通の言葉で十分表現できる。わざわざ數式に「飜譯」するなんて、不必要な複雜さを嫌ふ科學的精神にむしろ反する。普通の言葉で平明に書いたはうが、ずつと合理的で、美しい。

參考文獻

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