勝者と敗者は助け合ふ

資本主義經濟には競爭の勝者と敗者がつきものである。政治家や智識人の多くは敗者に同情を示し、政治の力で格差を是正せよと主張する。しかしそのやうな一見善意あふれるおこなひは、決して敗者自身のためにならないし、むしろ敗者を不幸にするだらう。
非選抜アイドル (小学館101新書)
そのことを理解する一册として、アイドル集團AKB48仲谷明香(なかや・さやか)が書いた『非選抜アイドル』(小学館101新書)をすすめたい。今年4月に出版された同書はすでに、ただのアイドル本ではないと評判になり、よく賣れてゐるが、あらためて紹介する價値がある。

仲谷は高い人氣を誇るAKBの一員ではあるが、決して多くの人が知るスターではない。AKBは姉妹グループを含め二百人を超える大所帶であり、CDのレコーディングに參加できる「選抜メンバー」は、そのうちわづか二十人足らずにすぎない。仲谷は入團五年目の比較的古參のメンバーだが、昨年まで一度も、選抜メンバーはおろか、それに次ぐ二十人ほどの「アンダーガールズ」にも選ばれたことがなかつた。

しかしいつまでも鳴かず飛ばずでは、最惡の場合退團を強ひられてしまふ。AKBで藝能活動の實績を積んで將來聲優になるといふ夢につなげたい仲谷にとつて、退團はなんとしても避けたかつた。そこで仲谷は、AKBの活動の根幹である東京・秋葉原の專用劇場での公演に人一倍力を注ぐ。とくに、だれかが病氣や仕事で休む場合の代役として使つてもらへるやう、他のメンバーの歌や振りを覺える努力を重ねた。その結果、いつでも代役として驅けつけられる「便利屋」として評價されるやうになる。

それでも上位メンバーには選ばれないままだつた。銓衡過程をオープンにする狙ひで2009年から始まつた、ファンによる人氣投票(「総選挙」)でも、選から漏れ續けた。仲谷は最初の総選挙の直後、退團させられることを覺悟する。

ところが意外なことに、総選挙であからさまな敗者となつた後も、AKBから追はれることはなかつた。むしろ仲谷を含む非選抜メンバーに對しては、周圍の眼差しが温かくなり、以前よりも大切にされるやうになつた。「敗者は全てを失う」といふ仲谷の豫想は外れたのである。

この經驗を通じ、仲谷は勝者と敗者の關係について次のやうなことに氣づく。「競争が行われるなら、そこに勝者と敗者が生まれるのだけれど、勝者が勝者でいられるのは、勝者に負ける敗者がいるからなのである」。仲谷は續ける。

人が競争をするのは、勝者に独特の輝きや価値をもたらすためだと思う。もちろん平等もだいじだけれど、競争によって勝者や敗者が生まれることも、人が成長したり、学んだりするうえでは、同じようにだいじなことだ。……アイドルが輝きや価値を持つためには、競争に打ち勝つことが不可欠なのだけれど、そこに欠かせないのが、その勝者に敗れる敗者という役割なのである。正々堂々と戦って、華々しく散っていく、競争相手が必要となるのだ。だから敗者は、不要になったり、立場を追われる存在ではないのである。(101頁)

ただしどんな敗者にも存在が許されるわけではない。許されるのは「敗者としての責任を果たした者」だけだと仲谷は強調する。その責任とは、競爭を抛棄せず、たゆまぬレベルアップに努めることである。なぜならレベルの低い敗者に勝つたとしても、それは勝者を輝かせたり、價値をもたらしたりしないからである。けれども責任を果たすことができれば、「敗者にも居場所が与えられるのである」。

かうした仲谷の主張に對しては、おそらく次のやうな反論がなされることだらう。たとへ非選抜メンバーでも、AKBに殘れたといふことは、努力もあるかもしれないが、やはり才能や幸運に恵まれたからだ。所詮は「勝者の論理」にすぎない、と。

それは一部正しいかもしれない。しかし同時に、仲谷の主張がAKBに殘れない敗者を切り捨てる論理でないことも事實である。仲谷はそこまで書いてゐないが、競爭に敗れ、AKBを去らなければならなくなつた者も、それで社會に居場所を失ふわけではない。特定の才能には恵まれなくても、努力するといふ能力を身につけた者であれば、藝能界に限らず、その力を必要とする仕事は數多く存在するからである。

もちろん現實には、一般の勞働者でも、政府が解雇を規制したり、雇ひ主に社會保障のコストを強制したりしてゐるために、雇ひ主が人を雇ふことに愼重になり、なかなか職が見つからないといふことはある。しかしだからといつて、競爭を否定し、格差是正のためにさらなる規制を求めるのは的外れであり、むしろ敗者を不幸にする。その理由は仲谷の次の洞察がヒントになる。

私は、そうした勝者を引き立たせるための真の敗者が存在したことが、AKB48がここまでの人気を築きあげたことの、大きな理由の一つだと思っている。九割にも及ぶ非選抜メンバーが、敗者としての自らの責任を果たし、たゆまぬレベルアップをはかりながら、正々堂々と戦って、敗れた時には華々しく散り、選抜メンバーを輝かせ、価値を持たせたからこそ、グループ全体としての人気を得ることができたのだと思う。(103頁)

嚴しい競爭こそがAKB全體の人氣を高めた。逆に言へば、もし競爭がなければ、AKBがここまで人氣を集めることはなく、收入も乏しかつただらう。さうなれば人氣のないメンバーを抱へる餘裕はなくなり、より多くの者が退團を強ひられただらう。

これは社會一般にもあてはまる。もし政府が格差を是正するために競争を制限すれば、社會全體が經濟的に貧しくなり、弱者を支へる餘裕が失はれるだらう。資本主義經濟における勝者と敗者は互ひに奪ひ合ふ敵同士ではない。意識してゐなくても、助け合つて社會全體を豐かにしてゐるのである。

今月結果が判明した第四囘総選挙で、仲谷は三十六位となつて「ネクストガールズ」入りを果たし、つひに非選抜メンバーを脱した。これからは華々しく散る敗者としてだけでなく、輝く勝者としても活躍できるやう祈りたい。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)