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さつさと政府を退場させろ

ポール・クルーグマンの最新刊『さっさと不況を終わらせろ』(山形浩生譯、早川書房)が出た。クルーグマンと言へば、現代經濟學を支配するカルト宗教、ケインズ教の最も有名かつ熱心な傳道師である。もちろん本の中身は、政府といふ神の「御業」が十分におこなはれれば深刻な不況はたちどころに終焉するであらうといふ、ありがたい御託宣に滿ちてゐる。
さっさと不況を終わらせろ
どうやつたら不況を終はらせることができるのか。クルーグマンの囘答は明快だ。「政府支出をドンと行うこと」(60頁)である。ええつ、いまさらそんなベタなことを? だつて、オバマ政權が打ち出した總額七千八百七十億ドルの財政刺戟策も、效果がなかつたぢやないの。讀者が抱くだらう疑問にクルーグマンはかう答へる。效かなかつたのは「必要な規模よりはるかに小さすぎた」(157頁)からだよ。前からわかっていたことさ。

しかしそもそも政府が財政支出をおこなふためには、民間から税金(インフレによる「見えない税」を含む)を取り上げなければならない。結局、お金を使ふ主體が民間から政府に移るだけで、意味がないのでは? そんなことはない、とクルーグマンは言ふ。先が見通しにくい不況で民間がなかなかお金を使ひたがらない場合でも、政府なら大膽に使ふことができる。たとへば……戰爭に。

クルーグマンは、「第二次大戦〔にともなふ軍事支出〕がアメリカ経済を大恐慌から救った」(194頁)と述べる。だがこれは誤つて信じられてゐる神話の一つにすぎない。經濟學者のロバート・ヒッグスが指摘するやうに、大戰中は政府が物價統制をおこなつてゐたため、そもそも經濟統計が本質的に恣意的(essentially arbitrary)で信頼できないといふ問題がある。それを別にしても、國内總生産(GDP)の計算で、政府のサービス(戰時なら軍艦の建造や基地の建設など)は市場で取引されないので、かかつたコストがそのまま價値とみなされる。これでは政府がお金を使へば使ふほどGDPが水膨れするのは當然である。實際に米國が不況から脱したのは、終戰で統制が終はり、自由な經濟活動が可能になつたためである。

一時的には、政府支出で景氣が上向くやうに見えるかもしれない。だが問題は、政府支出は市場を通じた取引と異なり、人々の自發的な需要を反映してゐないため、資源の配分を歪めてしまふことである。それはむしろ經濟が正常な状態に戻る調整を妨げ、不況を長引かせてしまふ。ヨーゼフ・シュンペーターの指摘によれば、次のとほりである。

単なる人工的な刺激策のおかげにすぎない回復はすべて、不況の御業の一部を実施されぬまま遺してしまい、調整不足の未消化な名残に加え、独自の調整不足を追加することになり、これがまた精算〔原文のママ。liquidatedの譯なので正しくは清算〕されねばならず、おかげで事業は行く手の新たな危機に脅かされることとなってしまうのである。(262頁)

この文章をわざわざ「悪名高い一節」として引用したクルーグマンは、シュンペーターハイエクの説く「精算〔ママ〕主義」は「現実の事象によって決定的に反駁された」し、「かのミルトン・フリードマン」ですら「この種の考え方を徹底的に糾弾している」と強調する。しかし財政刺戟策が大恐慌を終はらせたといふのは嘘だし、サブプライム危機後、金融にかんしては介入主義者だつたフリードマンの教へどほり、聯邦準備理事會は通貨供給量を激増させたが、不況は終はらなかつた。オバマ政權の財政出動も效かなかつた。

これではケインズ流の介入主義に人々が疑ひの目を向け、政府は何もしないはうがよいのでは、と思ひ始めても無理はない。實際、ケインズハイエクがラップで對決する動畫が話題になるなど、シュンペーターハイエク流の清算主義、つまりケインズ以前に一般的だつた自由放任主義への關心はしだいに高まり、支持も集めてゐる。

クルーグマンにはこれが我慢ならないらしく、介入政策批判の「動機」をあれこれ勘ぐつたあげく、ポーランドの社會主義經濟學者ミハウ・カレツキのこんな「洞察」を「きわめて納得できるもの」(131頁)としてかつぎ出す。もし民間に頼らず、金融政策や財政政策を使つて雇傭を創出できることがわかつたら、資本家の支配力が衰へてしまふ。だから資本家や一部の經濟學者は介入政策に強く反對するのだ、と。クルーグマンは、ケインズ主義は社會主義でないと力説するが、ケインズが實際には社會主義者だつたのと同じく、本音では社會主義に大いに好意を寄せてゐるやうである。

しかし政府や介入主義者は本當に民間より信頼できるだらうか。クルーグマンは2001年10月、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムでかう書いた。「経済政策によって支出を促し、民間投資の一時的な低迷を相殺すべきである。金利を引き下げれば、住宅やその他の耐久財への支出が促進される。これが対策のキモ(main answer)である」。その後、金融緩和政策が住宅バブルを招いたのは誰もが知つてゐる(もちろんクルーグマンによれば、惡いのは政府でなく、「たがの外れた銀行家たち」である)。

クルーグマンは、介入政策への批判は「子供っぽく」「破壊的」だと非難する(266頁)。だが本當に子供つぽく破壞的なのは、政府の力で經濟を思ひどほりに動かせると信じ、バブルを引き起こし、不況を長引かせる介入主義者のはうだ。不況への正しい處方箋はただ一つ、政府が一切の介入をやめ、さつさと退場することである。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)