良い金持ち・惡い金持ち

「金持ちになるには二つの方法がある。富を創出する方法と、他人の富を奪う方法だ」。ノーベル賞受賞經濟學者で、すでに多くの著作が邦譯されてゐるジョセフ・スティグリッツは、最新刊『世界の99%を貧困にする経済』(楡井浩一・峯村利哉譯、徳間書店)の初めの部分(76頁)でかう指摘する。スティグリッツがこの二つを正確に區別して本書を書き上げれば、良い本になつたことだらう。
世界の99%を貧困にする経済
ところがせつかく言及された區別はすぐにあいまいになり、しまひには味噌糞一緒に、金持ちから一律財産を取り上げ、その金で貧困層を救へといふ、國家主義まるだしの提言に行き着く。これでは富を創出する金持ちまで虐げることになり、貧困層は救へない。

いまから九十年前、ドイツの社會學者フランツ・オッペンハイマーが、スティグリッツと同趣旨の指摘をしてゐる。「人間が生きるために必要な富を手に入れ、欲望を滿足させるには、根本的に對立する二つの手段がある。それは勞働と掠奪である。つまり自分で骨を折つて働くか、それとも他人が働いて得た成果を力づくで奪ひ取るかだ」

勞働は富を創り出し、社會を豐かにするが、掠奪は富を生み出さず、社會を豐かにしない。勞働は他人の權利を侵害せず、道徳的に不正なところはないが、掠奪は他人の權利を侵し、道徳的に正しくない。かつて掠奪の主役は山賊や海賊だつたが、現代ではもつと洗煉された方法でおこなはれる。政治力(究極的には物理的な暴力をともなふ)の利用である。

たとへばスティグリッツが嚴しく非難する米國の大銀行は、幹部が政府高官として指名されることも多く、政治ときはめて密接である。實際、サブプライムローン危機後、税金で損失を肩代はりしてもらつたり、聯邦準備銀行からほぼゼロ金利で融資を受けたりした。「大銀行が繁栄を謳歌できるのは……納税者から事実上の補助金をもらっているから」(358頁)といふスティグリッツの指摘は正しい。

さらにスティグリッツは、監督役である聯邦準備銀行と銀行業界の關係について「(連銀の統制下にあるはずの)銀行の影響力があまりにも大きすぎる」(365頁)と批判する。また中央銀行の透明性の意義を強調してゐた聯邦準備理事會議長ベン・バーナンキが、銀行救濟についてマスコミから情報公開を求められたとたん、祕密主義に走つたことを糺彈する。これらも的を射た批判といへよう。

しかし殘念ながら、評價できるのはここまでである。その他の主張には問題がありすぎる。三點だけ舉げよう。

第一に、政府と結託した銀行や企業は激しく非難するのに、政府そのものはほとんど批判しないか、むしろ辯護に囘る。たとへばサブプライム危機の一因は、政府が貧困層の住宅保有を促進したことにあると言はれるが、スティグリッツは保守派經濟學者の「解釈」にすぎないと切り捨てる(237頁)。政府を批判する場合は、規制が不十分といふ理由であり、政府が市場に介入する權限を縮小せよとは決して言はない。

第二に、政治力に頼らず、自力で稼ぐ企業や個人まで惡者扱ひする。スティグリッツがとくに非難するのは、獨占である。その一例として名指しされてゐるのが、石油王と呼ばれたジョン・D・ロックフェラーだ(89頁)。ロックフェラーが興したスタンダード石油は政府から反トラスト法(獨禁法)違反で提訴され、解體に追ひ込まれてゐる。

しかしリバタリアンの經濟學者、ドミニク・アーメンターノによれば、スタンダード石油が握るシェアは國内精製事業に限つても1907年時點で六四パーセントにすぎず、競合他社は解體命令の下つた1911年時點で少なくとも百三十七社あつた。それ以上に重要なのは、スタンダード石油による獨占化が進んだとされる時期に、實際には石油價格が低下してゐた事實(1869年の一ガロンあたり三十セントから1910年頃には約六セント)である。これでは獨占で消費者の利益が損なはれたのかどうか、そもそも疑はしい。むしろスタンダード石油は、消費者の利益を高めたといふ見方すらできよう。實際、聯邦最高裁が解體を命じた根據は、消費者の利益侵害ではなく、多くの企業買收の背後に獨占の「意圖」(intent)があるからといふ、はなはだあいまいなものだつた。

このことからもわかるやうに、政府が獨占を認定する基準はしばしば恣意的である。だからスティグリッツのやうに、政治力によらない獨占まで惡として攻撃するのは、消費者の利益を守るうへでむしろ危險なのだ。ある企業が自力で百パーセントのシェアを握つたとしても、それは消費者に支持された結果であり、惡とみなす理由はない。

ついでに言へば、民間企業同士がカルテルなどで競爭の制限を狙つても、政府の力を借りない限り、カルテル破りや他社の參入を長期間妨げることはできないから、わざわざ多くの官僚を雇つて企業を監視したり罰したりする必要などないのである。

第三に、スティグリッツは結局、勞働で稼ぐ「良い金持ち」と掠奪で稼ぐ「惡い金持ち」を一緒くたにして、とにかく金持ちには増税せよと主張する(394頁)。これはひどい。いま述べたやうに、政治力を使はない企業や個人まで「惡い金持ち」に入れるのは間違つてゐるが、百歩讓つて、かりに自力で稼いだ金持ちの一部が「惡い金持ち」だとしても、それ以外は「良い金持ち」のはずである。「良い金持ち」は、スティグリッツ自身が指摘したとほり、富を創出するのだから、そこに重税をかければ、生産性が低下し、社會全體が物質的に貧しくなる。そのしわ寄せを一番大きく受けるのは、スティグリッツが助けたいはずの貧困層なのである。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)