政府に治安を任せるな

たいていの經濟學者は、警察、司法、國防を民間では供給できない特殊なサービスとして、政府による獨占を認める。だがそれは間違つてゐる。社會の治安を守るこれらのサービスは、きはめて重要だからこそ、非效率な政府に任せず、自由な競爭がある民間で供給しなければならない。

現在の警察、司法、國防サービスの問題點は枚舉にいとまがない。最近の例でいへば、司法については、法曹養成制度檢討會議が今週公表した中間提言案で、司法試驗の年間合格者數を三千人とした政府目標は多すぎるとして、つひに撤囘を求めた。法曹人口の増加をめざす制度改革は、裁判の長期化や紛爭への暴力團の介入を防ぐため十年ほど前に始まつたものの、完全に迷走してゐる。

警察については、パソコン遠隔操作で横濱市のホームページに小學校襲撃豫告が書き込まれ、十九歳の少年が誤認逮捕された昨年の事件が記憶に新しい。誤認逮捕そのものもさることながら、一カ月半も不當に拘束されたにもかかはらず、一日につき最高一萬二千圓程度の補償しか支拂はれないことが明らかになり、制度のあり方に批判が殺到した。

改善の道はあるのか。ふつうの經濟學者なら、警察や司法は民間では供給できないサービスだから、政府に努力を求めるしかないと言ふだらう。また經濟學者以外の智識人も、これらは國家の根幹にかかはる仕事だから民間に委ねるべきではないとの意見が大半だらう。
無政府社会と法の進化―アナルコキャピタリズムの是非
しかし日本で數少ないリバタリアンの經濟學者、蔵研也は『無政府社会と法の進化――アナルコキャピタリズムの是非』(木鐸社、2007年)でかう異を唱へる。「なぜ、国家の本質的な作用だからといって、警察・司法・国防のみが〔市場に任せるという〕この原則から外れるべきだと考えるのだろうか? 私はこの考えが理解できない。重要なものであればあるほど、相互の利己心の調和のために市場での解決が必要となるはずである」(40頁)

そのうへで蔵は、政府の業務すべてを民間が擔ふ無政府社會の具體像を描いてゆく。警察機構の役割を果たすのは、警備保障會社である。國防は警備會社の軍隊部門が受けもつ。裁判所の役目を擔ふのは仲裁會社である。各警備會社はあらかじめ、法的紛爭が生じた場合、どの仲裁會社の判決にしたがふかを互ひに取り決めておく。

この民營化により、前述したやうな問題は大きく改善するだらう。誤認逮捕については、被疑者の無罪が證明された場合、政府の警察と違ひ、搜査を行つた警備會社には完全な民事的損害賠償を行ふ必要が生じる。「これによって、犯罪捜査や冤罪から生じる人権侵害はすべてがなくなることはないだろうが、現在よりもはるかに少ないものになるだろう」(101頁)

裁判の長期化も解決するだらう。そもそも國家は、當事者が望むよりも裁判を遲延させる傾向があると蔵は指摘する。なぜなら「裁判の遅延は現実には、関係する官庁のより大きな予算と人員を要請することで役人の組織増大に役立つ」(138頁)からである。各裁判所を民營化し、仲裁會社として競はせれば、判決までの時間が長すぎる仲裁會社は利用者の支持を失ひ、淘汰されるだらう。

民營化の利點はそれだけではない。サービスの提供者が政府といふ獨占體から、多くの民間組織に變はることで、人々は自分の價値觀に合つたサービスを受けやすくなる。たとへば、犯罪者にどのやうな刑罰を科すかは、政府が畫一的に決定するのではなく、被害者と警備會社との契約や、仲裁會社の判決方針に依存することになる。死刑に反對意見を持つ個人は、警備會社との間で、自分自身や肉親が殺されても死刑を求めないやう契約し、死刑判決を下さない方針を表明してゐる仲裁會社を指定するだらう。一方、死刑を支持する個人は、異なる選擇をするだらう。

もちろん、この思ひきつた民營化論にはさまざまな反論があるだらう。たとへば、警察が民間企業であれば、金持ちしか守らないのではないか。司法が民營企業なら、金持ちが優遇され、有利な判決を受けるのではないだらうか。

これに蔵は「ある意味では正しく、ある意味では誤っている」(45頁)と答へる。なるほど、現行の國家によつて運營される警察では、建前上は全國民が同じサービスを受けることになつてゐる。しかし實際には、大物政治家からの口利きに代表されるやうな、多樣な形でのコネが存在し、社會階層に應じた差別的な取り扱ひも横行してゐる。

一方、民間警備會社の場合、たしかに金持ちは平均的には、より多くの金額を警備契約に支拂ひ、良質なサービスを受けるだらう。しかし金持ちでなくても、同じ金額を捻出し、同じ契約を結びさへすれば、同等のサービスを受けることができるのだ。蔵の記述につけ加へれば、この仕組みは政治力やコネによる不透明な差別と比べ、明快であり、はるかに望ましい。さらにつけ加へれば、經濟の歴史が示すとほり、自由競爭で供給される商品やサービスは、時間とともに値段が安くなり、金持ち以外にも贖入しやすくなる。

また國防の民營化については、次のやうな反論がしばしばなされる。私を北朝鮮のミサイルから防衞してくれる迎撃機機は、私の隣人の安全をも不可避的に保障する。その結果、私が國防費用を支拂へば、隣人は支拂ふことなく安全に暮らせてしまふ。となれば、合理的な個人は誰も防衞費用を負擔しなくなり、あるいは過小にしか負擔しなくなるために、そのやうな社會は外國軍の脅威にさらされてしまふ――。

これにたいし蔵は、一般的にはそうした傾向となる可能性を認めつつ、かう指摘する。無政府社會では、政府規制がないために、より高度な科學技術が急速に發展し、それによつて兵器のもつ潛在能力が高まるだらう(203頁)。また、愛國主義的な右翼・タカ派の性質を持つ個人は、社會を他國の侵掠から防衞するため、プレミアム附きの契約料を支拂ふだらうし、一般市民も、攻撃の危險性が高まれば高い契約料を進んで支拂ひ、警備會社の軍備はより増強されるだらう(206-207頁)。

治安の維持や國土の防衞は政府の仕事でしかありえないといふ通念を刷りこまれた多くの人々は、蔵の主張に大いにとまどふに違ひない。しかし私たちは、大切な生命を民間の航空會社や自動車會社に委ねてゐるし、健康を食品會社や醫藥會社に頼つてもゐる。なぜ警察、司法、國防だけを特別扱ひするのか。その常識を疑つて初めて、私たちは問題解決の出發點に立てるだらう。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)