市場よ、センターを取れ

アイドル集團、AKB48の次のシングル曲を歌ふメンバーをファン投票で決める「選抜総選挙」を、今囘初めてテレビでしつかり觀た。一人一票でなく、CDを買つた枚數だけ投票權が附いてくる仕組みは、一部の識者にすこぶる評判が惡いやうだ。朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」は、「カネで買った投票権が勝者を決める。これも市場原理主義か、AKB総選挙」と皮肉つぽく書いてゐた。もちろん、市場原理主義である。だからすばらしいのだ。
AKB48総選挙公式ガイドブック2012 (講談社 Mook)
「総選挙」は、市場經濟と結びつけてさまざまな惡口を言はれた。よく槍玉に上がつたのは、投票權ほしさにCDを何十枚、何百枚も買ひ、いらないCDを違法に捨ててしまふファンの行爲だ。たしかにほめられたことではない。だが違法投棄が横行する大きな原因は、ゴミ處理事業地方自治體が握り、民營化しないからである。とくにCDのやうなプラスチックゴミはせいぜい週一囘、ひどいところだと月一囘しか集めに來ないといふから、自治體が違法投棄の動機をつくつてやつてゐるやうなものである。

CDでなく、樂曲ダウンロードの形式で販賣すれば資源を節約でき、「エコ」だといふ意見もあつた。そのとほりだが、音樂CDは再販價格維持制度で守られ、高い値段で賣ることができるから、賣り手にしてみればダウンロード形式でわざわざ賣るメリットがない。再販制度を廢止しなければ資源の無駄遣ひはなくならないだらう。

また、投票權で釣つてCDを大量に買はせる「AKB商法」そのものがけしからんといふ聲もある。しかしそんなことを言ひ出したら、世の中にあるオマケ附きの商品はすべて駄目といふことになつてしまふ。騙されて買つたのでない限り、何百枚買はうが本人の自由である。もし若者が買ふにはCDは高額すぎると言ふのなら、それも再販制度のせゐで安賣りできないからである。惡いのは市場ではなく、結託して市場競爭を妨碍してゐる政府と音樂業界である。

石井敏宏といふ千葉縣館山市議會議員はツイッターで、AKBを賣り出した秋元康のことを「昔から、クリエーターというより流通業者。悪く言えば虚業家。金融で言うなら、デリバティブとか客の射幸心をあおる商品をバラまく連中」とこきおろしてゐる。これには笑つた。日本で「射幸心をあおる商品」の代表格といへば、全國の自治體が發賣元となつてゐるジャンボ宝くじではないか。石井はAKB商法の規制を訴へてゐるが、もし射倖心を煽るのがそれほど許せないなら、やれ一億圓だのやれ二億圓だの、目のくらむやうな金額をCMでタレントに連呼させるジャンボ宝くじこそ、眞つ先に廢止すべきだらう。

民放だけでなく、公共放送のNHKまでAKB総選挙をニュースで大きく取り上げるのはいかがなものか、もつと大事なニュースがあるのではと、苦言を呈する向きもあつた。だがこれは正常と異常を取り違へてゐる。NHKに典型的にみられるやうな、ニュースといへば必ず政治の話を持つてくる現在の報道番組のあり方こそ異常なのだ。

政治とは要するに、政治家や官僚が税によつて納税者の財産を取り上げ、それを支持者にばらまいたり、規制によつて消費者に不便を強ひ、天下り先の既得權益を守つてやつたりする行爲にすぎない。生産的なところは何もない。そんな卑しい所業を麗々しくトップニュースで連日取り上げ、さも崇高なおこなひであるかのやうな幻想を國民に抱かせるのは、AKB報道の「狂騒ぶり」などよりはるかに罪深い。

一部の識者や政治家がAKB総選挙への敵意をあらはにするのは、「総選挙」といふ絶妙な呼稱が、現實の政治の不公正・不效率をいやでも際立たせるからだらう。AKBは、総選挙でだれが「センター」(一番目立つ中央の立ち位置)に選ばれようと、自發的に支拂はれた對價と引き換へに、一丸となつて私たちを樂しませてくれる。しかし現實の選舉で選ばれたセンセイたちは、AKBと同じやうに私たちに向かつて「I want you! I need you! I love you!」と笑顏を振りまきながらも、一丸となつて他人の財産を強制的に奪ひ、頼んでもゐない劣惡なサービスを押しつける。

一年前の「総選挙」の際は、「カネで投票權を買ふ」ことの聯想から、評論家の山形浩生が昔書いた、實際の選舉で選舉權の賣買を認めよといふ文章が一部で話題にされたやうだ。民主主義といふ現代の神に疑ひを投げかける姿勢は評價できるが、踏み込みが足りない。政府が人々の生活に及ぼす影響力をそのままにしておいて、政府の選び方だけに「市場原理」を導入しても、社會はよくならないからである。

政府は社會からできるだけお引き取り願はう。そして社會の「センター」には、市場に立つてもらはう。そんな思ひを新たにしてくれるAKB総選挙には、ぜひ末永く續いてほしい。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)