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『「通貨」を知れば世界が読める』

浜矩子『「通貨」を知れば世界が読める――"1ドル50円時代"は何をもたらすのか?』PHPビジネス新書、2011年)

「通貨」を知れば世界が読める (PHPビジネス新書)

世界的な金融危機をきつかけに、通貨への關心が高まつてゐる。21世紀の通貨制度はどうあるべきか。著者浜氏は本書で「通貨体制の三元構図」(p.217)を提言する。まづ各國の地方ごとに地域通貨。次に圓やドルといつた全國通貨。そして海外との取引はSDR(特別引出權)のやうな共通通貨を使はうと言ふ。「通貨の足と経済の腰がしっかりした地域共同体。それらが寄り集まって形成された地球共同体は、土台がしっかりしているから、そう簡単には崩壊したりしないだろう」と浜氏は自賛する。

しかし地域通貨が「土台」にあると、なぜその上に構築された通貨體制が堅固なものになるのか、筋の通つた説明はない。浜氏は「地域通貨が支える安定した構造ができれば、為替が今のように投機などに振り回されて、急激に動いたりすることも減ってくるかもしれない」(同)とも書いてゐるが、東京と千葉と横濱で異なる地域通貨を使ふやうになれば、當然それらが投機の對象になる可能性も出てくる。市民生活が投機に「振り回され」るおそれは今以上に高まるとさへ言へよう。これではとても「安定した構造」どころではない。

さまざまな主體が自由に通貨を發行するといふ案自體には私も大いに賛成する。だが問題はその後のプロセスだ。浜氏は多くの種類の地域通貨が「ひしめき合いながら、共存している」(p.216)状態を理想としてゐるが、それではだめだ。人々から信頼される通貨は活躍の場を廣げ、一方で信頼されない通貨は淘汰されなければならない。他のあらゆる商品と同樣、通貨には共存ではなく競爭が必要なのだ。選びとられた通貨は地域を超えて全國で、そして世界で使はれるやうになるだらう。

人々から信頼される通貨はどのやうな特色をもつだらうか。そのヒントとなるエピソードが本書の中(p.201−)にある。戰後間もないころ、イタリアのある町で、小錢の代はりに小粒のチョコレートや飴玉が使はれたといふ。浜氏ははつきり指摘してゐないが、これは中央銀行の輪轉機でいくらでも印刷できるリラがたちまち價値を失つてしまふのに對し、チョコレートや飴玉の「通貨」はあくまで菓子製造の副産物であり、生産量が限定されてゐるからだ。しかも紙幣は通貨としての價値を失へば焚きつけにしかならないが、チョコレートや飴玉は通貨としての價値とは別に菓子としての價値がある。

もつとも、チョコレートや飴玉が本格的に通貨として使はれ始めれば、菓子メーカーの社長は自分が欲しい物を買ふために大喜びで工場をフル操業し、チョコ通貨、キャンディ通貨の價値は失はれてしまふだらう。だから信頼ある通貨になるためには、通貨以前の價値があることに加へ、稀少性がなければならない。

ここまで書けば、未來の理想通貨のイメージがつかめるのではないだらうか。いやじつを言へば、過去に市場はそのやうな理想に近い通貨を、歴史をつうじた競爭の結果、選びとつてゐた。それは金(きん)だ。政府が自ら發行する紙幣の使用を強制したために、金は正式な通貨としての坐を追はれてしまつたが、昨今の金價格の昂騰は、信頼できる通貨とは何かを人々が經驗上よく知つてゐることを物語る。

浜氏も、そして他のほとんどのエコノミストも、金本位制の復活に反對するが、それは間違ひだ。これについては、とりあへず以前書いたこの文章を讀んでほしい。

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