『アメリカの大恐慌』を讀む(7)不況を防ぐ(政府とマネー膨張)

不況を防ぐ (Preventing Depressions)

この項「不況を防ぐ」は長くなるため三囘に分け、それぞれ原著にはない見出しを立てる。

政府とマネー膨脹

前項でロスバードは不況から早く立ち直るための方策を論じたが、そもそも不況が最初から起こらなければ、その方が良いに決まつてゐる。不況を防ぐには、政府は何をすべきなのだらうか。

America's Great Depression

America's Great Depression

すでに述べたやうに、不況は、貨幣量の膨脹で歪められた經濟の構造が正常に戻る過程だ。すると答へは明らかだらう。貨幣膨脹を防ぐこと、これこそ政府の仕事といふことになる。しかしことは簡單でない。歴史を振り返ると、政府は貨幣膨脹を止めるどころか、貨幣發行を獨占することにより、自ら率先してカネの量を水増ししてきたからだ。

はるか昔には、王が金貨や銀貨に含まれる金や銀の量を減らし、不當な利益を得た。たとへば一萬圓金貨があつたとして、これには一萬圓分の金が含まれないといけないはずだが、他の金屬を混ぜて金を半分の五千圓分に減らし、それでも一萬圓として使用する。さうすれば本來の價値の二倍の買ひ物ができるやうになる。出入りの商人との間でこんなやりとりがあつたかもしれない。「國王陛下、この金貨、なんとなく色がをかしいやうな……」「そんなことはない。さつさと品物をよこせ」。こんなことを平民がやれば贋金づくりとして首が飛んだに違ひないが、權力者は同じ手口で堂々と私腹を肥やしたのだ。

なほ現代の主流派經濟學では、このやうに政府が貨幣發行の獨占を利用して得る利益を通貨發行益(シニョレッジ)と呼び、不當どころか、政府だからこそ行使できる魔法のやうな力の賜物だと賞賛してゐる。

金貨や銀貨をいぢれば色や重さでをかしいとわかるから、市民も用心することができるし、政府への不滿も募る。逆に言へば權力者もさうさう安易にごまかすことはできない。ところが印刷術の發明で状況が一變し、カネの水増しははるかに容易になつた。紙とインクと印刷機さへあれば、政府はいくらでも紙幣、つまりお札を刷ることができる。しかもどのお札も、色も重さもデザインも完璧に同じ「本物」だ。

とくに二十世紀以降、先進諸國が戰爭や福祉政策に莫大な資金をつぎ込むやうになつてから、政府が發行するカネの量は天文學的に跳ね上がつた。現代は民主主義の時代だから、政府が獨斷でカネを増やしてゐるわけではない。福祉を求め、戰爭を支持する國民の聲を背景に、政府はカネの量を膨脹させてゐるのだ。

かうした中で、政府に貨幣膨脹の齒止め役を期待することがどれだけ難しいか、容易に想像がつくだらう。ここ十年ほど日本では貨幣量の伸び惱みが問題視されてゐるが、マネーが膨脹の一途をたどつてきた近現代の歴史的スパンで見れば、その程度の伸び惱みは小さな踊り場のやうなものにすぎない。ロスバードが言ふやうに「政府とは本質的に貨幣膨脹を引き起こす組織」なのだ。

政府が一時的に貨幣量を縮小させることがあるのは、膨脹させる一方ではバブルやインフレなどの問題を引き起こし、國民から非難されかねないからだ。逆に言へば、もし貨幣を膨脹させても國民の大半が抵抗せず、むしろ歡迎するやうな状況になれば、政府は心おきなく印刷機をフル廻轉させることだらう。

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