『アメリカの大恐慌』を讀む(8)不況を防ぐ(部分準備銀行制度は詐欺)

部分準備銀行制度は詐欺

さて、マネー膨脹について考へる際、政府・中央銀行だけでなく、銀行の役割を頭に入れておく必要がある。マネーの中で政府・中央銀行が發行する現金は一部にすぎず、多くは銀行の貸出が占めるからだ。

America's Great Depression

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ここで「銀行業(の一部)は詐欺」といふことについて説明しなければならない。またぞろ何をわけのわからぬことを言ひ出したかと思ふかもしれないが、今後の理解に必要なので、少々おつき合ひ願ひたい。

銀行預金には二種類ある。預入期間が決まつてをらず、預金者の求めによつていつでも現金として引き出すことのできる預金と、預入期間が決まつてをり、自由に引き出すことのできない預金だ。前者は「要求拂預金」(demand deposit)と呼ばれ、普通預金や當坐預金などがある。後者の代表は定期預金だ。ここから要求拂預金に絞つて話を進める。

なほ、大恐慌當時のやうに金本位制がとられてゐる場合、銀行が用意する準備は金になる。かつては金を裏附けにして民間銀行が紙幣(銀行劵)を發行することもあつた。利用者がこの紙幣を持つて現れ、金との交換を求めたら、銀行はそれに應じなければならない。また預金者が預金を引き出す際、金での拂ひ戻しを望んだら、それに從はなければならない。

要求拂預金は預金者がいつ引き出しに來るかわからない。預金者全員が一度に全額を引き出す可能性もゼロではないから、それに備へるには、銀行は預金殘高と同額の現金をつねに金庫に用意しておかなければならないはずだ。ところが實際には、銀行は預かつた現金の一部のみを保管し、殘りは貸し出してしまふ。預金者全員が一齊に預金を引き出しに來ることなど、さうさうあり得ないからだ。そんな萬が一の事態のために金庫でカネを遊ばせておくより、貸し出して利子を取つた方が商賣になる。

このやうに、預金の全額でなく、一部だけを拂ひ戻しに備へ保管しておく仕組みを「部分準備銀行制度」(fractional-reserve banking)といい、現在では當然のこととみなされてゐる。

だがロスバードは、部分準備銀行制度は不正だと指摘する。銀行は要求拂預金の預金者にいつでも拂ひ戻しに応じると約束しておきながら、その預金の大部分を貸し出し、拂ひ戻しに応じられない状況を自ら進んで作り出してゐるからだ。言ひ換へれば、果たすつもりのない約束をしてゐる。これは詐欺以外の何物でもないといふのがロスバードの主張だ。部分準備銀行制度が當たり前となつた現代では奇矯に聞こえるかもしれないが、かつて中世ヨーロッパで部分準備銀行は違法とされたこともあつたのだ。

ロスバードが屬するオーストリア學派の中には、部分準備は契約の自由の範圍内であり、必ずしも不正でないとする見方もある。だがロスバードの主張には説得力がある。たとへば朝、自轉車を驛の駐輪場に預け、仕事に出かけてゐる間、駐輪場の管理人が自轉車を乘り囘してゐることを知つたら、抗議しない人はゐないだらう。それに對し管理人が「どうせ夕方まで戻つて來ないのだから、いいぢやないか」と答へたら、かう反論するに違ひない。「急用で早く戻ることだつてある。そもそも契約上、自轉車を取りに來る時間に制限はないはずだ」。

いつでも引き出せると言ひながら、預かつたカネを貸し出してしまつてゐる銀行は、この管理人と同じ不正を働いてゐることになる。もちろん現在の法律の下では合法だし、一般的な經濟學の教科書では、少額の預金から多額の貸出を生み出す「信用創造」が可能になるため、むしろ望ましい仕組みだと評價してさへゐる。

しかし銀行の倒産が相次ぐ金融危機は、この部分準備銀行制度のせゐで起こるのだ。もし銀行が預金と同額の現金を金庫に用意しておけば、預金者が拂ひ戻しを求めて店頭に殺到しても、慌てる必要はない。金庫から現金を運び出し、預金者に順次渡せば濟むことだ。部分準備だとそれができないから、倒産するしかなくなる。部分準備制度をそのままにしておいて、さまざまな規制で健全な銀行經營を促しても、本當の原因から目をそらすだけだ。

マネー膨脹にとつて、部分準備銀行制度が重要な役割を果たしてゐるのは間違ひない。ただし氣をつけなければならないのは、もし民間銀行だけの力で部分準備に基づく貸出を行ふのであれば、マネーの量がそれほど大幅に増えることはないといふことだ。なぜなら預金のうち貸出に囘す分が大きくなればなるほど、預金者の引き出しに對応できず、倒産に追ひ込まれるリスクが高まるからだ。銀行が倒産のリスクを恐れる限り、あまりにも野放圖な貸出には自ら齒止めをかけるはずだ。

逆に言へば、銀行が倒産のリスクを恐れなくてよいなら、いくらでも大膽に貸出を増やすことができる。しかし倒産のリスクを恐れなくて濟むなどといふ都合のよい話があるだらうか。もちろんある。多くの國では銀行が潰れさうになると、政府・中央銀行が救濟してくれる。銀行が預金の大部分を貸出に囘すことができるのは、最後は政府・中央銀行が救つてくれるといふ安心感があるためなのだ。銀行貸出の額がどれほど大きくとも、マネー膨脹の中心は銀行でなく、政府・中央銀行と見なければならない。

事實、政府は部分準備銀行制度を禁止するどころか、むしろ奬勵してきた。國民に金の代はりに紙幣や預金を使用するやう促し、銀行間の競爭を制限して、經營内容が不健全な銀行であつても、健全な銀行と同じやうに一齊に貸出を増やせるやう取りはからつてきた。中心的役割を果たしてきたのは中央銀行制度だ。ロスバードは次のやうに説明する。

中央銀行制度によつて、金は(民間銀行から)國庫へと集中・吸收され、全國で銀行貸出を増やす土臺を押し廣げた。また銀行預金の準備を金でなく、中央銀行への預金口坐とすることによつて、銀行が畫一的な行動をとるやうにした。中央銀行の設立以降、各民間銀行はもはやそれぞれの金準備に照らして融資を判斷することはなくなり、すべての銀行がひとまとまりにされ、中央銀行の行動によつて規制されるやうになつた。さらに中央銀行はつぶれさうな銀行への「最後の貸し手」(lender of last resort)を買つて出ることで、銀行システムに對する公衆の信頼を著しく高める。政府が自らの組織である中央銀行をつぶすことなどあり得ないと、誰もが暗默のうちに信じてゐるからだ。中央銀行は、金本位制の下でさへ、自國民が金の拂ひ出しを求めることを心配する必要はほとんどない。唯一氣に懸けなければならないのは、中央銀行の顧客以外、つまり外國への金流出だけだ。

州權意識の強いアメリカでは、中央政府によるマネー膨脹が貨幣價値の毀損を引き起こすことへの警戒心が傳統的に強く、完全な機能を備へた中央銀行は長らく存在しなかつた。だがつひに第一次世界大戰前夜の1913年、聯邦準備制度(Federal Reserve System)の導入によりそれが實現した。

アメリカ政府は聯邦準備制度(以下、場合によつて「聯銀」と表記する)による民間銀行の支配を確立するため、次のやうな權限を與へた。

  1. 紙幣發行の獨占
  2. 既存の國法銀行(national banks)を聯邦準備制度に強制加盟させ、法的準備はすべて聯銀への預金として預け入れるやう義務づけ
  3. 預金に對する準備の比率(預金準備率)の決定權

聯銀は民間銀行の預金準備の額と率の二つを支配することで、マネーの量を大きく膨脹させる力を持つことになつた。經濟状況などによつて、民間銀行は法的に貸出の餘力があるにもかかはらず、あへて貸出を増やさない場合もあるので、聯銀がマネーを増やす力は完璧ではない。だがたいていの場合、取附騒ぎになれば聯銀が救つてくれるとの安心感もあり、民間銀行は準備の枠ぎりぎりまで貸出を増やし、利益を最大化しようとする。

中央銀行が存在しなければ、民間銀行はそこまで目一杯貸出を増やさうとせず、マネーが膨脹する度合ひも小さいだらう。だがマネー膨脹を完全に防ぐには、部分準備銀行制度を禁止し、すべての銀行劵と預金に同額の、つまり百パーセントの金準備を義務づけなければならない、とロスバードは主張する。

すでに觸れたが、部分準備を禁じ、百パーセント準備を義務づけるこの主張に對しては、銀行業の自由を擁護する論者からは異論があるだらう。またそれ以外の觀點からも反論がありうる。ロスバードの師であるミーゼスは、百パーセント金準備の利點を認めつつ、部分準備を禁じない自由銀行制度(free banking)が望ましいとした。政府が百パーセント金準備を銀行に義務づけることを認めれば、銀行に對する政府の支配を容認することになり、やがて政府がマネー膨脹のために準備率を引き下げてしまふ恐れが大きいとの理由からだ。

これに對しロスバードはかう反論する。百パーセント金準備は行政による恣意的な統制ではない。詐欺の禁止なのだ。詐欺の禁止はリバタリアンの法秩序にとつて肝腎要の部分ではないか。リバタリアンは政府の活動範圍をできるだけ狹くしようとするが、唯一の例外を舉げるとすれば、それは市民の人身と財産の保護だ。部分準備銀行制度は詐欺であり、百パーセント金準備の義務づけによつてこれを禁じることは政府による自由な市場への干渉ではなく、自由な市場に必要な法的保護の一環と言はねばならない。詐欺は竊盜と同じく、財産を不正に奪ふ行爲だ。詐欺とは交換契約を結び、相手の財産を手に入れたにもかかはらず、自分はわざと財産を引き渡さないことだからだ。ありもしない金を渡すことを利用者に約束する銀行は、詐欺を働いてゐるのであり、竊盜に等しい行爲を行つてゐるのだ。

ロスバードの主張は、現行の銀行制度に慣れ親しんだ目には、はなはだ突飛に見えることだらう。だが「他人の財産を不當に奪つてはならない」といふ道徳的原則を貫く限り、正しいと認めざるを得ない。

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