大恐慌の眞實――何が原因だつたのか(1)

大恐慌はなぜ起きたのか。前項で書いた通り、現在、主流派經濟學者の間ではマネーサプライ通貨供給量=世の中に出囘るカネの量)の急激な減少が原因との見方がほぼ通説となつてゐる。これはノーベル經濟學賞を受賞したミルトン・フリードマンがアンナ・シュワルツとともに著した『合衆國貨幣史』の中で述べた見解だ。エコノミストの原田泰はこの見解を次のやうに要約してゐる。

デフレはなぜ怖いのか (文春新書)

1928年に入ると、アメリカ連邦準備制度理事会FRB)は、株式市場の過熱と金の流出を抑えるために、政策を引締め基調に転換した。この政策により、29年10月の株価暴落や経済の縮小が始まったが、緩和政策はとられなかった。30年末になると、破綻する銀行が出はじめ、31年夏には銀行破綻が高水準に達して、いわゆる銀行恐慌が発生した。しかし、FRBはなお政策の基調を変えなかった。このころになると、アメリカがドルを金に対して引き下げるのではないかという思惑から、大量の金が流出した。これに対して、FRBは、31年9月、ドル価値の維持のために引締めを行い、利子率を急上昇させた。32年に入ると、FRBは緩和政策を試みた時期もあったが徹底しなかった。このような金融政策の結果、マネーサプライは29年第3四半期から33年第2四半期までに35%も縮小した。しかし、33年に入ってようやく緩和の動きを見せるようになり、同年4月に金本位制を停止して本格的な金融緩和に転換した。(『デフレはなぜ怖いのか』文春新書、2004年、143頁)

つまり聯銀が金融を緩和すべきときに十分緩和しなかつたり、それどころか場合によつては引き締めたりして、世間に出囘るカネの量を減らしてしまつたため、株暴落や銀行の相次ぐ破綻、さらには深刻な不況を招いたといふ解説だ。

聯邦準備理事會議長のベン・バーナンキは、まだ理事だつた頃の2002年、ミルトン・フリードマンの九十歳の誕生日祝賀會で講演し、フリードマンの學業を讃へつつかう述べた。「大恐慌に関して、あなた方の意見は正しかった。連邦準備制度は、あなた方が述べたとおりのことをした。われわれはきわめて遺憾に思っている。しかし、あなた方のおかげで、われわれはそれを二度と繰り返さないだろう」(フリードマン、シュワルツ『大収縮1929−1933』所収、久保恵美子譯)。マネーの量を減らし、大恐慌を引き起こしたかつての聯銀の轍は踏まないといふ意思表明だ。

日経BPクラシックス 大収縮1929-1933「米国金融史」第7章

事實、その後聯銀のトップとなつたバーナンキは、2008年に起こつた世界的な金融危機の直後から、まるでフリードマンへの約束を忠實に守るかのやうに、凄まじい勢ひでマネーの供給量を増やした。フリードマンの學説は今や學會だけでなく、米國政府・中央銀行によつても認められてゐるほとんど公認の教義といへる。(續く)

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