呉智英氏の思ひ出(6)豫兆
これまで鏤々述べたやうに、私は呉智英氏の永年の讀者である。ひところは、單行本のみならず、呉氏の文章が載つてゐさうな雜誌を書店で片端から物色したものである。現在は廢刊となつたNHK出版の月刊雜誌「Be-Common」を都内の書店でふと立ち讀みしたら、呉氏の連載コラムを發見し、喜んだ思ひ出がある。そのコラムは單行本『サルの正義』に「シニカルな暴論」として収録されてゐる。その外にも、「朝日ジャーナル」「宝島30」「コミック・ボックス」「ガロ」……なぜか、今はなくなつてしまつた雜誌が多いのであるが、とにかく熱心に讀んだ。呉氏がマンガ評論を長期連載中の「ダ・ヴィンチ」も、「危ない」といふ噂を數年前に本屋の親爺から聞いた事があるが、これは何とか頑張つてゐるやうだ。
さて、「話の特集」も、現在は姿を消した雜誌の一つである。編輯長(矢崎泰久氏だつたか)とゲストとの對談が目玉で、表紙には和田誠氏描くゲストの似顏が毎號載つてゐた。呉智英氏の似顏が表紙を飾つたのは、『バカにつける藥』が出て間もない頃、すなはち1988年だつたと思ふ。タイトルに曰く、「『バカにつける藥』 呉智英、大いに語る」。書店で見つけた私は、早速立ち讀みした(それにしても私は立ち讀みばかりだ。この雜誌も買はなかつたのが今になつて惜しまれる)。
印象に殘つた發言が幾つかある。まづ、西部邁氏を批判したくだりがあつた。「西部氏は、馬鹿も賢者も同じ一票の投票權しか持たないのはをかしいといふ理由で民主主義を批判するが、そんな事は、どこにでもある不條理の一つにすぎない」。かねての持論どほりに西部氏を一應は高く評價したうへで、このやうに批判したのが新鮮であつた。この時以外、呉氏が西部氏を批判した文章を讀んだ事がない。私が知らないだけなのかもしれないが、西部氏が『国民の道徳』を出版して脚光を浴びてゐる今こそ、呉氏による本格的な西部批判を讀みたいものである。
呉氏が影響を受けたといふ三人の學者の名も覺えてゐる。小島祐馬、島田虔次、荒木見悟。いづれも支那思想が專門である。私は早速、神田の支那關係書籍專門店に通ひ、小島祐馬の『支那思想史』やら、荒木見悟の陽明學や禅宗に關する分厚い本やらを何册も買込んだものである。難しくて齒が立たず、今ではほとんど手放してしまつたが……。
私が最も注目したのは、政治體制に關する發言である。「私は、共和制はよいと思う」。呉氏はかう發言してゐた。私は驚いた。共和制とは、天皇の存在を政治的には否定するといふ事である。呉氏は「封建主義者」を名のつてゐるが、その理想とする封建社會は「天皇のゐない封建社會」なのか。しかし、天皇のゐない社會を果して「封建社會」と呼べるのか。恰度その頃、松原正氏の著作を熱心に讀むやうになり、後には「絶對神を戴かない日本人は天皇不在でやつて行けるのか」といふ疑問も浮んだが、インタヴューを讀んだ直後はそこまで深く考へたわけではない。月日は過ぎ、それから約十年後、私は、天皇に關する呉氏の明確な判斷を知る。
(初出「地獄の箴言」2001年4月29日。2004年4月29日修正。表現・表記を一部修正)
※天皇について、現在では筆者(木村)自身の考へがかなり變はつた。それについては後日書くことにしたい。
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