大恐慌の眞實――何が原因だつたのか(3)

米聯銀が本當にインフレを極度に恐れる存在であれば、世の中に出囘るおカネの量(通貨供給量マネーサプライ)をできるだけ抑へるはずだ。カネの量が増えれば増えるほど、物價が上昇しやすくなるからだ。しかし實際には、大恐慌に先立つ時期におカネの量は大幅に増えてゐる。

オーストリア學派のエコノミスト、マレー・ロスバードによると、1921年6月から1929年6月までの8年間で、米國通貨供給量は61.8%も増えた。年7.7%の伸びだ。これは現在の主流派經濟學で望ましいとされる年2〜3%の伸びを大きく上囘る。

C・A・フィリップスらの調査によると、1921年6月から1929年12月までに全米の銀行預金殘高は190億ドル超増加した。これは第一次世界大戰が起こる直前の1914年6月時點の186億ドルに匹敵する。つまり米國の1914年までの歴史をかけて積み上げたのとほぼ同じだけの預金を、わづか8年で集めてしまつたわけだ。大恐慌前夜の尋常ならざるカネ餘りを象徴する數字と言へよう。歴史的に見て桁外れに多額のお金を市中に供給した聯銀が本當にインフレを警戒してゐたとは、ちよつと考へにくい。

たしかに、カネの量がこれだけ大幅に伸びたにもかかはらず、物價は安定してゐた。だがそれは作り出されるモノの量が同じくらゐの勢ひで伸びてゐたからだ。1922年から1927年までの工業生産量を見ると、自動車は年4.2%、石油は12.6%、消費財は4%、鑛物資源は2.5%、それぞれ増加してゐる。オーストリア學派の歴史家、トマス・ウッズが指摘する通り、これだけモノの生産量が増え、市場への供給が増えれば、それぞれの價格は下がるはずだ。さうならなかつたのは、すでに述べたやうに、聯銀が通貨供給量を大幅に増やしてゐたためだ。

このやうな事實を踏まえると、聯銀は物價の上昇(インフレ)でなく、むしろ正反對の事態を懸念してゐたと考へる方が辻褄が合ふ。さう、1920年代の聯銀は物價の下落(デフレ)を恐れてゐたのだ。

デフレを恐れた聯銀は、かつてない勢ひで市中に大量のお金を供給し、その結果、短期的にはデフレを避けることができた。だがそれは經濟の構造に歪みをもたらした。その歪みが露はになつたのが、株價や不動産價格の異常な昂騰、すなはちバブルだ。みづから生み出したバブルが制禦できないくらゐ大きくなつた時、慌てた聯銀はそれを利上げで抑へ込まうとし、遲かれ早かれ起こるバブル崩潰の引き金を引いた。

聯銀がインフレを恐れ、バブル潰しに乘り出したことが恐慌の一つのきつかけになつたといふ説は、株暴落前後の短い期間だけをとると正しいやうに見えるが、それは近視眼的な見方にすぎない。もつと長い期間で考へると、マネーサプライの増大によるバブルの發生こそが問題だつたことがわかる。大恐慌の眞の原因を知るには、歴史を遡り、バブルが生まれた背景を知らなければならない。(この項終はり)

<こちらもどうぞ>