『アメリカの大恐慌』を讀む(11)ケインズ派による批判

ケインズ派による批判(Keynesian Criticism of the Theory)

オーストリア學派の景氣循環理論に對するケインズ派からの批判は大きく(1)流動性の罠(2)賃金の下方硬直性――の二つの論點からなされる。いづれもオーストリア學派が前提とする市場の自律調整機能が働かない事態を指し、政府による市場への介入を積極的に認めるケインズ派經濟學にとつて傳家の寶刀とも言へる重要な概念だ。それだけにロスバードによる反論も力が入る。

America's Great Depression

America's Great Depression

各論に入る前に、貯蓄(saving)、投資(investment)、消費(consumption)に關するオーストリア學派とケインズ派の考へ方の違ひを理解する必要があるので、見ておかう。古典派經濟學およびその流れをくむオーストリア學派によれば、貯蓄と投資は常に一致する。ロスバードの言葉を借りれば「將來に備へて投資するには、消費を節約し、資金を蓄へなければならない。この節約が貯蓄であり、貯蓄と投資は常に等しい。これら二つの用語は相互に入れ替へて使つてもほとんど差し支へない」

これに對しケインズ派は、貯蓄と投資はまつたく別物で、互ひにほとんど無關係な二組の人々によつて行はれると考へる。貯蓄は「消費―支出」といふおカネの流れから「漏れ出す」。一方、投資は別のどこかの段階で流れこんでくるといふ。したがつてケインズ派によれば、おカネの流れを活溌にし不況を克服するには、政府は投資を促す一方で貯蓄を抑制し、全體として支出を増やすべきだといふことになる。

ケインズ派は貯蓄のことを「退藏」(hoarding)と呼んでしばしば非難する。退藏といふ言葉にはおカネを使はず、ケチケチため込むといふ意味合ひがある。今の日本でも「金持ちがおカネを使はないから景氣が惡くなる」などと貯蓄をさも惡事でもあるかのやうに責めるエコノミストが少なくない。

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だが「貯蓄と投資は分かちがたく結びついてをり、一方を促し他方を抑へることはできない」とロスバードは批判する。金融資産の用途は次の三つに分けることができる。

  1. 消費
  2. 投資
  3. 金保有(積み増すか取り崩す)

ケインズ派は次のやうな不自然きはまりない想定をする。人はまづいくら消費し、いくらしないかを決める。次に消費しない分のうち、いくら投資し、いくらを現金として保有するかを決めるといふのだ。

しかし現實には個人はこのやうな不自然な決め方はせず、一度に三つの用途を決めるものだ、とロスバードは指摘する。その際基準となるのは(1)時間選好(2)現金の有用性――の二つだ。個人は自分の時間選好に從つて消費と投資の割合、言ひ換へれば現在の消費と將來の消費の割合を決め、現金の有用性に從つてどれだけの現金を手元に置いておくかを決める。現金需要は時間選好とまつたく無關係だ。個人が手持ちの現金を増やすとき、その現金は投資を減らすことだけからだけでなく、消費を減らすことによつても捻出しうる。

ロスバードは重ねて強調する。

貯蓄(投資)―消費の割合は個人の時間選好によつて決まり、支出―現金保有の割合は個人の現金需要によつて決まる。

經濟事象を正しく捉へるには、これら二種類の凾數を混同してはならない。

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