『老子』

老子小川環樹譯註、中公文庫、1973年)

老子 (中公文庫)

戰勝のしらせが屆けば、銃後の國民は花火を上げ、旗行列をして喜ぶ。凱旋將軍は群衆の歡呼と小旗の波に包まれ、盛大な出迎へを受ける。洋の東西を問はず、どこにでも見られる光景だらう。戰爭に勝てば、それを祝ふことを私たちは當然のやうに考へてゐる。ところがこれに異を唱へ、戰勝の行事は、めでたさや華やかさとはおよそ縁遠い葬式の禮法に從つておこなふべきだと言つた人物が古代シナにゐた。老子だ。

老子は架空の人物だといふ説もあるから、「ゐた」といふのは不正確かもしれないが、少なくともその著作とされる『老子』はシナの代表的古典のひとつとして永らく讀み繼がれてきた。近年は「タオ」ブームで新たな人氣を集めてもゐる。しかしおもに話題になるのは老子の「清貧の思想」のやうな部分であり、戰爭論が取り上げられることは少ないやうに思ふ。おそらくそれは、あまりにもラディカルな反戰論だからだらう。

戰爭について述べた『老子』の第三十一章(中公文庫版78頁以下)は、戰勝に浮かれる者に冷水を浴びせるやうな一文で始まる。

夫(そ)れ佳き兵は、不祥の器なり。

「すぐれた武器は、不吉な道具である」。私たちは戰鬪機のアクロバット飛行に目を奪はれ、大型戰艦の勇壯な姿に感歎する。だが老子は、それらが人を殺すための「不吉な道具」であることを忘れない。

勝つて而(しか)も美とせず。之を美とする者は、是れ人を殺すことを樂しむなり。

「勝利を得ても光榮ではない。それにもかかはらず光榮とするのは、人殺しを快樂とすることである」。武器の本質が人を殺す道具であるのと同樣、戰爭の本質は人を殺すことだと老子は喝破する。そして戰勝を喜ぶのは、人殺しを樂しむのと同じだと言ひ切る。タオブームから聯想される穩やかな老子像が一變するやうな、激しい言葉だ。

人を殺すこと衆(おほ)ければ、哀悲を以て之に泣く。戰ひ勝てるには喪禮を以て之に處(よ)らしむなり。

「殺した人の數がおびただしければ、深い悲しみをもつてすすり泣く。戰ひに勝つたものは葬式の禮法に從ふべきなのである」。戰爭に勝つたといふことは、多くの人を殺したといふことだ。人の死は悼まなければならない。鉦や太鼓で祝ふなど、とんでもないことだ。むしろ深い悲しみをもつてすすり泣かなければならない。それは人間として自然の感情でもあるはずだと、老子はそこまで述べてはゐないが、考へてゐるやうに思はれる。

日本の敗戰に先立つ1945年5月7日、ドイツ軍が降伏して歐州で第二次大戰が終了したとき、醫療活動で有名なアルベルト・シュヴァイツァーはアフリカの病院にゐた。たまたまラジオでニュースを傍受した歐州系の患者を通じ終戰を知つた彼は、その日の夜、佛譯の『老子』をひもといて、心靜かにこの一章を玩味したといふ。(楠山春樹『老子入門講談社学術文庫、79頁)

殺した敵のためにすすり泣くなど、弱肉強食の戰爭といふ現實の前では、現實離れした感傷主義にすぎないと嘲笑されるかもしれない。だが第二次大戰も、もとはといへば第一次大戰後のヴェルサイユ條約で、英佛など戰勝國がドイツに過酷な賠償要求をしたことが原因となつた。もし戰勝國側が敵愾心に流されず敵國の死者の死を悼み、ドイツの遺された人々にそれこそ現實離れした莫大な負擔を背負はせるやうなことをしなければ、さらに大きな戰禍を招かずに濟んだかもしれない。

政府は戰爭に勝つために國民の憎惡をつねに煽る。殺した敵のため泣くといふ發想は、政府からもつとも縁遠いものだ。そして私たちは政府が正しく、老子が誤つてゐると思ひこんでしまふ。だがかりに私たちにとつて自衞の戰爭であつたとしても、侵掠國側の兵の大半は政府に命じられて戰爭にやむなく參加した人々であり、その死を悼むことは人間としてなんら不自然でない。

軍備は不吉な道具であり、戰勝に榮光はない。敵國の人々の死は、自國の人々の死と同樣、避けるべきことである。かうした老子の教へを心に刻めば、私たちは政府が煽り立てるナショナリズムの熱狂にとらはれず、國際關係をもつと冷靜に考へることができるやうになるだらう。

(註)引用は原文の新字新かなを正字正かなに改めた。

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